そばに眠る、届かない花

6. 予感

※千鶴視点


あの日。

お昼を食べてから、夕食の買出しにお兄ちゃんと出かけた。近所のスーパー、車を出そうかというお兄ちゃんに近いからと首を振り、二人並んで歩く。こうして買い物に出ることも昔ほどには無くなったから、嬉しくて顔が緩むのがわかる。子供っぽい私を卒業しなきゃって思っているのにお兄ちゃんの前ではうまくいかない。
最近のお兄ちゃんはなんだか少し変だったけど、今日はいつものお兄ちゃんだ。
「千鶴、今日は歩きなんだから、あんまり買うなよ。」
「はーい。でも大丈夫だよ、平日の特売で結構買ってあるから。今日は今日のお夕飯分だけ。」
「ならいいけどよ。……あんまり重いのはカンベンな。」
そういって笑ったお兄ちゃんの掌が私の頭をくしゃりと撫でる。そんなこといっても、絶対全部持ってしまって私には荷物を持たせてくれないんだ。
だから二日酔い明けのお兄ちゃんに無理をさせないように気を付けよう。お夕飯は何がいいだろうか。お兄ちゃんもすっかり元気みたいだし、薫も部活でお腹を空かせて帰ってくるはず。

そんなことを考えながら、浮足立つ心のまま、カートを片手にスーパーの店内を回る。最初はお兄ちゃんも一緒に回っていたのだけど、お酒を買ってくると言って離れた酒販コーナーに行ってしまった。別に一緒に寄ればいいのにと思うけれど、過保護なお兄ちゃんはいつもこうだ。
「おい、千鶴。ちょっと酒買ってくるわ、ちょっと離れるぞ。」
「え?私も一緒に行くよ。」
「いや、駄目だ。未成年には良くねえだろ、料理酒がいるなら一緒に持ってきてやるぞ。」
「大丈夫、まだあったと思う。」
「おう、じゃあちょっと行ってくるな?……気を付けろよ。」
別に一緒に言ってもいいじゃないかと思わず頬を膨らませてむくれた私の頭をぽふぽふ撫でつけてから私にカートをゆだねて行ってしまった。
ちょっとむくれたまま、一人店内を回る。お兄ちゃんにすこしでも美味しいものをと真剣に野菜やお肉を見定める。いろいろ勉強しているけれど新鮮な良いものを見つけるのは難しい。でも、美味しいって言ってくれるお兄ちゃんと薫やお父さんのためにも、と手は抜かないようにしなくちゃ。
「あー、千鶴ちゃん?」
「本当だ。雪村だ。」
「え?あれ、みんな?どうしたの、こんな所で。」
急に名前を呼ばれて、振り返るとそこにはクラスメイトの姿がある。男女数名、どんな集まりかしらと聞けば、部活の練習試合の帰りだという。帰り道、見つけたこのスーパーで飲み物でも買って帰ろうと寄ったらしい。他の人の邪魔にならない所に移動してちょっと立ち話をする。練習試合の様子を話す皆の話を聞いていると今度は私のことを聞かれる。家が近所だから良く利用するスーパーだと話すと皆が何故か感心したように頷きあう。皆はスーパーとか行かないのかな。
「千鶴ちゃんがご飯作るんだっけ?」
「うん。そう。慣れれば楽しいよ。部活やってないから時間もあるしね。」
「薫はしねえの?」
「あんまり。薫は部活忙しいし。でも時々手伝ってくれるよ。」
「すごいね、私なんて買い物に付き合うのもしないよー。何か買ってもらうときだけついてくけどさ。」
そういって凄く感心されてしまう。私にとっては当たり前になっている日々が皆には珍しいらしい。だけど私だってお母さんがいれば何にもしない子だったと思うけどな。大変ねと言われる事が多いけど、そういうふうに思ったことはない。だって……好きな人にご飯作って美味しいって言って貰えるのって嬉しいから。
「千鶴ちゃんひとり?」
「ううん。お兄ちゃん……えっと隣の家のお兄ちゃんと一緒。お夕飯一緒に食べるから買い物付き合ってもらってるの。」
「ああ!噂の千鶴ちゃんの「大好きなお兄ちゃん」って人?」
「あ、俺も聞いたことあるぞ。あの薫が認めてる唯一の他人ってやつだろ?」
「……あ、あの、そんなふうに言われてるの?」
お兄ちゃんのことを話した瞬間、何故かそんなふうに言われて困ってしまう。困り果てて聞いてみると、ひとりの男子が大笑いしながら私の肩を叩く。
「だってさー、雪村、有名だぜ?……あの雪村の大好きな人ってさ。すげー格好いいんだろ?」
「いたたっ。もう、あの、ってなあに?どうしてそんなふうに伝わってるの?」
バシバシと叩かれた肩をわざとらしく撫でさすってむくれて見せると、皆が笑う。だってねぇ、バレバレだよねと口々にからかわれてしまう。私そんなにお兄ちゃんのことばかり話していたかなぁ。

そんなふうに話をしていると、お兄ちゃんがなかなか帰ってこないのに気付く。皆と話しつつも回りを見渡すとお兄ちゃんの後姿が見える。此方を見ようともせず、いつもお兄ちゃんが飲んでいるお酒を手にレジへと向かっているように見える。
「あ、お兄ちゃん……?」
思わず、口にしてしまって皆がバッと私の見ているほうを見つめる。
「あ、あの人か?赤い髪の……?すっげー背たけー。」
「本当だ。ねぇ、千鶴ちゃん顔見たい!ほら、声かけて!!」
「えっ?で、でも……。」
皆が私の視線の先を見て、お兄ちゃんに気付いたらしい。ただ、こちらに背を向けているから後姿だけ。その姿に、女の子たちがきゃあっと盛り上がって私をけし掛ける。お兄ちゃんが格好いいと言われるのはうれしいけど、なんだかちょっと面白くない。そんな自分でもよくわからない感情が邪魔をして、呼びかける声が躊躇でよどむ。
「お兄ちゃん!!……あれ?」
うまく声が出なかったみたいで、お兄ちゃんは全く気付かないようで振り返らなかった。そして着信があったようで、スマフォを取り出すとすっと耳に当てて喧騒から離れるように急ぎ足で私から遠のいていく。
その時、一瞬お兄ちゃんの横顔が此方を向いた。その横顔にみんなが歓声を上げる。
「うわー!かっこいいじゃん!お兄さん。いいなぁ、千鶴ちゃんは彼氏があんなかっこよくてさっ。」
「か、かかか彼氏じゃないよ!幼馴染のお兄ちゃん、だよ。」
「そっかぁ?薫とか平助の話だと、その人雪村のこと溺愛してるらしいじゃん。」
「違うよ。ただ小さいころから一緒に居るから、出来の悪い妹が心配なだけだって。」
「えー!千鶴ちゃんの出来が悪かったら、私たちはどうなるの……。」
クラスメイトが色々と邪推してからかってくるのに答えながらも、私は今見たお兄ちゃんの横顔が気になっていた。

驚くほど、怖いほど、真剣な硬い表情をしていたから。

あんなお兄ちゃん、ほとんど見たことがない。お兄ちゃんが大学生になって家にほとんど帰ってこなくなる直前、一度だけあんなお兄ちゃんを見たことがあった。お兄ちゃんに遊んでもらおうと押しかけたお兄ちゃんの部屋。『ちゃんとノックしろ』って言いながらいつも通り笑って迎えてくれると思っていたのに。私の声に気付かず、じっと手元をにらみつけているお兄ちゃんが、あんな表情だった。
あの時、小さかった私は怖くて泣きだしてしまってお兄ちゃんを困らせたっけ。

なんだろう。すごく嫌な予感がする。

その後は、背後にへばりつくその予感を必死に無視しながら過ごした。
あの時のように小さな子供だったらよかった。感情のまま泣きわめいてお兄ちゃんに縋り付けるなら、どんなに楽だっただろう。……ああ、私はこんなにずっとお兄ちゃんに甘えて生きてきたんだ。大人にならなくちゃ。お兄ちゃんの隣を堂々と歩ける女性にならなくちゃ駄目だ。
だから私は、自分でも説明のできない感覚をお兄ちゃんに悟られないように、いつも通りを必死に守りながら過ごした。


……お兄ちゃんが帰ってこなくなったのは、その週末を過ごした後のことだった。



end.


もんもんとする左之さんの千鶴ちゃん側の話です。

2年たっても女の子目線がしんどいのは変わらない(泣)


2013/06/30


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