そばに眠る、届かない花

5. 触れ合う手に心臓が止まる

※左之視点


あの日。

俺は千鶴と近所のスーパーに向かった。近くだし、荷物は俺が持てばいいだろうと、散歩がてら歩いて出掛ける。なにが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべて隣を歩く千鶴。此処の所、すこし元気がないようにも見えていたからその様子に安堵する。
楽しそうに、でも真剣に買い物を始めた千鶴に付き合ってカートを引いていたが、家で飲む酒が切れていたことを思い出した。未成年の千鶴を酒売り場に付き合せるのもよくないだろうと、まだ野菜やらを吟味している千鶴に一言断って酒売り場に向かった。目的の物を手にとって、先に会計を済ませて千鶴のもとに戻ろうと店内を見渡した時のことだ。
千鶴が笑っていた。
その横には知らない男。いや、正確には何人かの千鶴と同じ年恰好の男女。クラスメイトだろうか。
にこやかにその集団と話す千鶴。そういえば千鶴がクラスメイトと居る所を見たことがないなと思いつつ、邪魔をしても悪いかと思い、もう少し他の売り場を見てこようとした時だった。
千鶴の横に居た男が、不意に笑いながら千鶴の肩を叩いて、何かを言っている。その瞬間、千鶴の顔がポンと真っ赤に染まる。周りの男女も千鶴が恥ずかしがる様子をからかうように笑っている。千鶴もからかわれたことに気付いたのだろう、すこし拗ねた表情で笑っている。
冷静に見れば、ただの仲間同士のじゃれあいみたいなものだ。そうだろう?

だけど、あの瞬間。
千鶴に男が近づいた様子を目にした瞬間、目の前が嫉妬で赤く染まった。もう少し近くに居たなら、衝動のまま千鶴に近づいた男を引き剥がしにいったかもしれない。ギリギリと血が滲むほど手を握りしめて、やっと衝動を収める。千鶴たちから見えない陳列棚に身を隠し、大きく息を吐いた。ただ、男の手が千鶴の肩に触れただけだ。それがどうしてこんなに苦しいと感じるのだろう。

俺の知っている千鶴は人見知りで、いつだって俺や薫の後ろに隠れてしまうような女の子で。小学生の時は男子が苦手でいつも薫にべったりだった。俺や薫と同じ道場の平助や他の奴に慣れるのも大変だった。きっと高校生になった今だって薫や千、平助が守ってやっているのだと思っていた。
だけど、俺の知らないうちに千鶴は、ああやってクラスメイトと楽しげに過ごす当たり前の高校生になっていたんだな。そうやってどんどん俺の知らない千鶴になっていくのか?

まだ、心がざわつく。ただ、仲良く話している高校生相手に、俺は何を血迷っているんだろうか。ただ、千鶴に男が近づいてすこし触れた、それだけで此処まで動揺する自分が怖くなる。これでどこかの男が千鶴の彼氏だとかいったら俺はどうなっちまうんだろう。
自分は、千鶴への想いから逃げる為にあんな触れ合いより深い事を、愛してもいない女相手に繰り返してきたくせに、千鶴に軽く触れただけの男を殴り倒しそうなほどの激情を持っちまうなんて馬鹿じゃねえかと思う。兄のような立場を盾に千鶴の傍にいる事だけを守り続けて、千鶴に想いを伝える勇気すらない俺に何の資格があるのだろう。

『千鶴に触れていいのは、俺だけ。』

そんな根拠のない決めつけが、あの瞬間、俺を支配していた。

そんな自分が怖くなる。
いつか俺は、まだ高校生で何も知らない千鶴を絡め取る様に自分の想いをぶつけてしまうかもしれない。社会を知らない千鶴を自分の腕の中に閉じ込めて、どこにも出さず、何も見せず。千鶴の世界を俺だけにしたい。そんな狂気が俺の深い所にはある。あの一瞬の激情は、それを自覚させた。実際には、想いを伝えることすら出来ないくせに。だけど、確かに俺の中に狂気がある。それが怖かった。


その後の事は、あまり覚えていない。
千鶴に覚られぬよう、笑顔を張りつけて過ごした事だけ覚えている。



週末中、悩み続けて出した結論は結局。
千鶴から逃げる事だった。
こんな事を繰り返して、何も変わらない事は分かっている。
分かっていても、こうすることしかできなかった。

きっとどうやっても千鶴への想いは消える事が無いだろう。
だが、千鶴の傍にいれば、俺の狂気がいつか爆発してしまいそうで怖かった。逢えない事で降り積もる苦しさよりも自分が千鶴を傷つけてしまう事の方が怖い。……いや、そうなった俺を千鶴がどう思うのかが怖かった。軽蔑?恐怖?憐れみ?俺を兄と慕ってくれる千鶴にそんな感情を持たれたらと思うと他の選択肢を考える、いや思い至る事すら出来なかった。
この狂おしいほどの感情が落ち着くまででいい。すこし千鶴から離れよう。そう決めた。

……そう。俺は自分のことしか考えていなかった。
大学のころから、まったく進歩のない自分に呆れ果てる。


その行動が千鶴を苦しめる事になるなんて、思ってもみなかったんだ。



end.


お題「恋人になるまでの10ステップ」より
02:触れ合う手に心臓が止まる

すみません。約二年ぶりの更新です。
ちょこりちょこりと更新はまだですかと聞かれておりました。
大変お待たせいたしました。

めちゃくちゃベタなお話ですが、終了までもう少々お付き合いください。

2013/06/23


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