そばに眠る、届かない花

12. 本当は好きだと伝えたい

※千鶴視点


潜り込んだ軒下で膝を抱えているとぼろぼろと涙が零れた。
どれくらい泣いたらこの苦しさは消えるのだろう?

今日だけでも家に帰りたくないとお千ちゃんに連絡を取ろうと思ったけど、スクールバックを落としたまま来てしまったので、携帯もお財布も持っていないことに気付いた。全部バックの中。結局いつかは家に帰らなくてはいけないみたいだ。
お兄ちゃんが探しているかもしれない。飛び出していった妹分を心配して?そんな心配をしてくれるくらいなら今は放っておいてほしい。
私はお兄ちゃん……左之助さんの隣を歩きたかった。妹じゃなくて一人の女性として見てほしかった。でも、もうそれはかなわない。だから今日くらいは一人で思う存分泣きたい。
そうしたら明日からは、お兄ちゃんが振り向かずに済むように出来るようにする。

そのまま泣き疲れてすこしうとうととしながら、どのくらい過ごしただろう。

それまで静かだった境内を人の歩く音がする。はっとして身を縮める。
玉砂利を鳴らして歩く足音。こんな時間に参拝者?……きっと誰か近所の人の夜の散歩だ。大丈夫、きっとこんなお社の裏……それも軒下なんて誰も気付かない。
そう思いつつも、制服姿のまま大人に見つかってしまったらどうしようと不安になってくる。
もし見つかったらどうなるのかな。交番に連れて行かれて、家に連絡……?それともお父さんの所に?そんなことになったらどうしよう!
元々沈んだ気持ちがどんどん考えを悪い方向へと導いてしまう。ビクビクと膝を抱えているとなんだか足音が近づいているように感じる。どうして?ただの散歩ならお社の裏なんか回らないよね。
早くいなくなってと祈るようにしていると、足音がぴたりと止まる。その足音の人物らしい人影が地面に映る。もうお社の裏手まであと少しのところですこし離れた街灯を背にして立つ人影はうすくて長いけど、長身の男性のように見える。まさか……お兄ちゃん?
「……千鶴?いるんだろ。何処だ?」
控えめな低い声が耳を震わす。その声と私への呼掛けにビクリと震えた。やっぱりおにいちゃんだ。……どうしてここに来たんだろう。その声は絶対私がここに居ると確信しているようだ。
ついさっきまでぼろぼろに泣いていたから顔はどろどろで泣いていたと一目でわかるだろう。そんな状態でお兄ちゃんに見つかるわけには行かない。軒下の闇に溶け込めるようにぎゅっと身を縮め、お兄ちゃんが諦めるのを待つしかなかった。でも、こうして人の気配を気にしながら隠れていると、なんだか子供の頃のかくれんぼみたいだ。こんな心までぎゅっとしてしまいそうな状況なのに一体何を思い出しているんだろう。あの頃は、見つからないようにドキドキして、でも見つけて欲しくてわくわくとしながら隠れてた。今とは全然違うのに、同じ場所だからだろうか?あの頃のように見つかってしまうわけには行かないんだと、気配を消そうと息すら漏らさないように口に手を当てて必死に祈る。
(お兄ちゃん早く諦めて。もう少し千鶴を放っておいて、お願い。)
いったん止まっていた足音が動き出す。その音はもうそこまで来ていた。お社の裏を歩くお兄ちゃんの足元が見える。ゆっくりと進む足が私の近くでふっと止まる。ここで覗き込まれたら、きっと見つかってしまう。私のドキドキが最高潮になった時、お兄ちゃんがまた歩き出した。
通り過ぎる足音にホッと息を吐いた時、通り過ぎたはずの足がすっと踵を返してあっという間に私の隠れた軒下の前に戻ってきて。
「千鶴、見つけた。」
その声と共に、お兄ちゃんが軒下を覗き込んだ。私に手を差し出して嬉しそうに微笑むお兄ちゃんの顔が昔かくれんぼをした頃のお兄ちゃんの笑顔に重なって、一瞬嬉しくてあの頃のように差し出された掌を掴もうとしてしまう。その次の瞬間、先刻のお兄ちゃんの言葉がよみがえってきて、その手を戻した。だってもうお兄ちゃんを頼るのはやめるんだって決めたんだから。掴もうとした掌をぎゅっと握り締めて胸元に仕舞い込む。
お兄ちゃんは私があの頃のようにすぐ手をつかむと思っていたみたいで、私の引いた手を見て微笑みを一瞬強張らせた。それでもすぐ笑顔に戻って、まるで幼い子に話しかけるように優しい落ち着いた声で私を呼ぶ。
「……千鶴。話したいことがあるんだ、聞いてくれ。」
「……っや、やだ……こないで。」
「千鶴……。」
穏やかなお兄ちゃんの声が今は凄く怖い。だって聞きたくなんてない。お兄ちゃんの口から決定的な言葉を聞いてしまうのは嫌だ。その気持ちがそのまま口から零れて、お兄ちゃんがびくりと震える。私がお兄ちゃんを拒絶したことなんてないから吃驚したんだろう。お兄ちゃんの顔が悲しげに揺れる。それでもまだお兄ちゃんは手を引かない。覗き込んでいた身体をそっと屈めて私の前にしゃがみ込むと私と視線を合わせる。
どうしたらお兄ちゃんが放っておいくれるのかがわからなくて、必死に嫌だとふるふると頭を横に振って、来ないでと訴える。泣いてしまったらお兄ちゃんが困るだけだから、必死に涙を止めようとするけど全然駄目。あれだけ泣いたのにぼろぼろと涙が零れていくのがわかる。私を探しに来てくれたのは嬉しい。でもそれが泣いて駆け出した妹分を心配してきたということが嫌だ。ただお兄ちゃんに見つけてもらうのを待っていた小さな頃とは違う。妹じゃ嫌なの。でも、それを言ってしまったら、もう二度とお兄ちゃんに会えなくなる気がして、何も言えず、お兄ちゃんの言葉も聞けずに混乱だけが私を支配していく。ただただ、お兄ちゃんの手を取りたくなくて泣きじゃくりながら帰ってと懇願する事しか出来ない。
「千鶴、落ち着け。………聞いてくれ。」
「私は、だいじょ、ぶ、だから。もう、ちょっとしたら、……帰、るから。」
だからお願いとしゃがみ込んで手を差し出したままのお兄ちゃんを見つめる。お兄ちゃんが何か言ってくるけどまったく頭に入らない。ただただ一人にして欲しくて、ぎゅっと身体を縮めてお兄ちゃんから出来るだけ離れようと後ずさりする。そんな私を悲しそうに苦しそうに見るお兄ちゃんの視線が苦しくて、目を逸らす。
「千鶴、頼む。落ち着け、な?」
「……や、やだ。お願……ひとりに、して……。」
「千鶴!!」
噛み合わない会話にお兄ちゃんが声を荒げた。私はその声にびくりと肩を震わせる。とうとうお兄ちゃんの腕が私を軒下から出そうと伸びてくる。その腕から逃れようとしたけれど、もう後ろは壁。仕方なしに横に身体に反らして。そのままお兄ちゃんの横をすり抜けて走り出した。はずだったのに。
軒下から飛び出した私の腕はお兄ちゃんの腕に掴まれてしまった。
「いやっ。離して!」
「千鶴。落ち着けって。」
「やっ。……放っておいて!なんで追いかけてきたの?」
「なんでって……。お前が……。」
「だって、……もう、千鶴はお兄ちゃんの傍には居られないんでしょう?!なら、もう……。」
その腕から逃れようと暴れるけれど、お兄ちゃんの、男の人の力にかなうはずもなくて掴まれた腕の自由は戻らない。それでも逃げようとする私にお兄ちゃんの掌に力がこもる。どうしてここまでお兄ちゃんが私を気にするのかがわからない。だってもうお兄ちゃんは私の傍にいてはくれないって言ってたのに。思わず問いかけた私の言葉に答えようとするお兄ちゃんの言葉をさえぎって苛立ちをぶつけてしまう。
その次の瞬間、私の腕がぐっと引かれる。そのまま私はバランスを崩してお兄ちゃんの胸に飛び込んだ。驚いて離れようとした私を、お兄ちゃんの腕が絡め取ってその胸に抱きしめられる。暴れてもその腕は解かれることはなくて、むしろ潰されてしまうと思ってしまうほどの力が込められる。混乱した私に、お兄ちゃんの低くて唸るような声が降ってくる。
「……惚れた女が泣いてんだ!放っておけるか!」
「……え……?」
言葉の意味が分からなくて、呆然と動きを止めた私の肩口にお兄ちゃんが顔を埋める。私の身体に直接響かせるようにお兄ちゃんの吐息のような低い声が私の耳元に落とされる。
「千鶴。聞いてくれ。俺はお前に惚れてる。ずっとずっとお前だけを見てた。」
「……うそ。」
「嘘じゃない。本当だ。信じてくれ、俺はお前のことがずっと好きだった。」

信じられなくて呆然とする。だって、お兄ちゃんが私のことを……?



end.


お題「恋人になるまでの10ステップ」より
06:本当は好きだと伝えたい

あと、一話です。

いや、そこでちゅーだろ?左之さん!って自分で書いたものに突っ込んだのは内緒。



2013/08/04


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