そばに眠る、届かない花

10. 声が届きますように 2

※千鶴視点


スイーツビュッフェを終えて。もうちょっとウィンドウショッピングを楽しもうというお千ちゃんの誘いもあったんだけど、それはまた今度と断ってお千ちゃんと別れた。ずっと『まだ、いいじゃない』とお千ちゃんは言っていたけどその誘いを振り切って、家へと急ぐ。だってお兄ちゃんがいつ早く帰ってくるかわからないから。その時はちゃんとお夕飯を用意してあげたい。

家に近づくと、先に帰ったはずの薫は何処に行ってしまったのか、家に明かりがついていなかった。門燈だけが煌々と闇を照らす。誰か家にいるならついているはずの居間や台所、自分たちの部屋の明かりは見えなかった。どうしたのかなと首をかしげつついつもの癖で隣の――お兄ちゃんの家に目をやって、その光景にドクリと心臓が高鳴るのがわかった。
……お兄ちゃんの家に明かりが付いてる。
お兄ちゃんの家は、小父さんと小母さんが海外赴任中でお兄ちゃんしか住んでいない。だから必要な時だけ灯ればいいと、門燈はセンサーライトになっているからここの所、ずっと真っ暗だ。なのに今日は玄関にぼんやりと明かりが見える。もしかして。

「お兄ちゃん!!」

もしかしたらお兄ちゃんが朝電気を消していかなかっただけかもしれない。それでも、確かめずにいられなかった。だってもうずっとお兄ちゃんの顔を見ていない。
勢いのまま駆け出したけれど、ずっと帰ってきてくれなかったお兄ちゃんを脅かしてみちゃえと、門扉からはそっと気配を忍ばせる。すると、玄関に近づくにつれてなんだか人の声が聞こえる気がする。あれ?これって……。
「お兄ちゃんと薫……?」
玄関の扉越しで小さく聞こえる声ははっきりとは聞こえない。だけどなんだか言い争っているようにも聞こえる。どうしたんだろう?私に無理矢理お千ちゃんと遊んでくるように言い置いて先に帰った薫がどうしてお兄ちゃんと話しているの?あ、もしかしてお仕事で無理しているお兄ちゃんを気にして、土方さんと連絡を取ったのかも。なんだかんだいって、薫もお兄ちゃんのこと気にしてるもんね。だから最近の働きすぎのお兄ちゃんを止めようとしてるのかもしれない。
うん、きっとそうに違いない。だったら私が急に顔を出したら駄目かもしれない。でも気になってちょっとでもお兄ちゃんの顔が見たくなってくる。少しだけならいいかなと、そっとドアを音を立てないように開けてみた。

「俺はもう、千鶴のそばには居られない。わかってくれ、薫。」

その瞬間私の耳に飛び込んできた言葉が、私の心を貫いて。薫のおかげできっとお兄ちゃんが早く帰ってきてくれるようになると浮かれていた気持ちがすとんと落ちた。どういうこと?どこか転勤しちゃうの?……私はもうお兄ちゃんとは一緒にいられない?どうして?
凄く苦しげに搾り出すようなお兄ちゃんの声。ぎゅっと握った掌からぎりぎりと音がしそう。此方からはお兄ちゃんの顔は見えないけど、きっと苦しそうな顔をしているんだろう。
……ああ、きっと私はお兄ちゃんの邪魔になってしまったんだ。私みたいなのがお兄ちゃんに纏わりついていたら、……彼女、さんとか困っちゃうよね。あの時の人かな?もしかして、最近帰りが遅い理由はお仕事じゃなくて……。ううん、違う。お兄ちゃんは嘘なんか、……吐かないよ。ぐるぐる回る嫌な想像。信じたい気持ちと綺麗にはまるピースが私の心を乱す。ただ一つ言える事は、千鶴はおにいちゃんの邪魔になったんだということ。
そっかぁ。じゃあこれからはお兄ちゃんがいなくても生きていけるように大人にならなくちゃ。お兄ちゃんの隣を歩きたくて早く大人になりたかった。だけど、お兄ちゃんに千鶴は必要ないのだと分かったのだから、お兄ちゃんが安心してここを離れることが出来るようにならなくちゃ駄目だよね。
胸がじくじくと痛い。だって失恋……だよね。どうしてって嫌だって言いたいけれど、いまこうして私がここに居ることをお兄ちゃんは知らない。私の気持ちだって知らない。どうしてあんなにお兄ちゃんが苦しそうなのかわからないけど、これ以上ここに居たら駄目だと思う。だから、このままそっと部屋に戻ってしまうのがいいんだ。私は何も聞かなかったんだ。ただ幼馴染が離れて……行くだけ……だよ。
考えが悲しい結論に行き着いて、身体の力がぐらりと抜けてスクールバックが手から離れる。あ、駄目。そっと去ろうとしたのに。そう思ったけど既に遅くて、バックはそのまま地面に落ちてどさりと音を立てる。

二人がその音にビクリと震えてこちらを振り向いた。
私だと確認して二人が拙いという顔をして固まっている。久しぶりに見るお兄ちゃんの顔、すこしやつれて見える。ずっと逢いたくてたまらなかったのに、今はその顔を見るのが辛い。

二人の顔がどんどん歪む。ぼろぼろと溢れた涙が頬を伝う。
一度零れだした涙は、留まる事を忘れてしまったみたいに止まってくれない。
お兄ちゃんが困るだけなのに。

もうその場に居ることが出来なくて、くるりと踵を返すと暗い道を走り出す。

何処になんて何も考えず、ただひたすら走った。
きっとお兄ちゃん、吃驚しただろうな。追いかけてくるかもしれない。でも、今は会いたくない。
すこしでも遠く、お兄ちゃんや薫に見つからない所に。

そう念じながら走り続けて。どのくらい経っただろう。走りつかれて足を止めると、そこは家からすこし離れた所にある神社。境内に公園があって、子供の頃よくお兄ちゃんが連れてきてくれて遊んだ場所。
一度足を止めてしまうと、なかなか身体が動いてくれなくなってしまった。結局、境内に入って、お社の裏手に回る。道路からも社務所からも見えない軒下に潜り込む。昔、かくれんぼで隠れた場所だ。昔はあんなに大きく見えたお社の軒下も今の私じゃちょっと小さくなってしまっている。それでもなんとか滑り込んで膝を抱える。

ここなら、きっと見つからない。ここですこし休んで。
そして、思いっきり泣いたら、帰ろう。

でも。待って。

帰るって何処に帰るんだろう。
もう、お兄ちゃんは千鶴を見てくれないのに。……千鶴はいらないのに。



end.


お題「恋人になるまでの10ステップ」より
08:声が届きますように

よくあるパータン。n番煎じですな。

あと3話です。
お付き合いください。


2013/07/28


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