変わらないもの、変わりゆくもの 2

沖田に金平糖をもらってから随分と時が過ぎて。
沖田は体調を崩したまま、起きる事も少なくなっていた。あれこれと世話を焼きたがる千鶴を遠ざけるようにもなった。食事を持っていってもお薬を持っていっても、振り向いてもらえない。それどころか返事すらしてもらえない日々が続く。松本から世話を任されている山崎も手を焼いているようだ。
それでも千鶴は沖田の傍にいようとしていた。山崎がいない時の世話を任されているのもあるが、千鶴自身が沖田の傍にいたかった。
食欲のない沖田にどうやったら食事をとってもらえるのか、雑用をしながら毎日必死に考えて持っていくが、此処の所は食べてもらえる事が無い日が続いていた。もともと食の細い沖田だったが更に細くなり、ここ数日は特にひどい。そんな沖田を心配ながら掃除をしている時のことだった。
「雪村君。ちょっといいだろうか。」
「山崎さん?はい、大丈夫です。」
山崎に手まねきをされて、簡単に掃除道具を片付けると山崎の所に駆け寄った。きっと沖田の事だろう。山崎の普段動かない表情に、すこし困った表情が見て取れた。すこし、人気のない所まで来ると山崎は早速切り出した。
「最近沖田さんの状態が良くないのは知っているだろうか。」
「はい。………お食事、ほとんどされていませんから。」
「そうか。今回は沖田さん自身もそうとう参っているらしくて、薬を飲んでもらえないんだ。」
「えっ。……でも、沖田さんお薬だけはいつも。」
「ああ。そうとう苛立っているようだな。今回は。」
山崎は大きく溜息をつきながら、沖田の様子を語る。気分屋で近藤以外のいう事をあまり聞く事のない沖田だが、基本的に病気に関する松本の指示には従っていた。それなのに。
「俺では、どうしても口論になってしまって更に苛立たせてしまうのでな。」
確かに沖田と山崎ではどうにもそりが合わないらしく、いつでも言い争っている気がする。その様子が簡単に目に浮かび、千鶴も溜息をついた。食事も手につかない状態で薬を飲まないという事が、どれだけ良くないかなど、きっと沖田にだって分かっているはずだ。
近藤の為に、役に立つ刀でありたいと願う沖田にとって、今の状態はどれだけ辛いことだろう。ひょろりとした体躯は外見とは異なり、しっかりとしなやかに鍛えられていたのに、今ではすっかりとやせ細り見る影もない。剣客として、刀を握れなくなるという事がどれほど辛く苦しい事なのか。羅刹に身を落とした山南同様に沖田が自暴自棄に陥ってしまってもおかしくないのかもしれない。
「なにか君にいい考えはないだろうか?もう、なんというか。お手上げなんだ。」
「……はい。ご期待に添えるかどうか分かりませんが、考えてみます。」
「頼む。……局長も副長も心配なさっているからな。」
千鶴の頷きに、山崎は少しだけほっと息を吐いて、ふっと遠くを見る様にして呟いた。


山崎と別れ、掃除に戻りながら千鶴は考えていた。
山崎にはああいったものの、ろくに返事もしてもらえない千鶴がいったい何が出来るのだろうか。
千鶴はいろいろと考えを巡らしていたが、ふっと何かを思いついた様に頷くと、いったん自分の部屋に寄ってから、沖田の薬を用意して沖田の部屋に向かっていった。


「沖田さん、失礼しますね。」
返事が無い事は分かりきっている千鶴は、そっと声をかけると沖田の部屋に滑り込んだ。
ごそりと、衣擦れの音が聞こえたから起きてはいるようだ。目をやれば案の定、千鶴の入ってきた障子に背を向けて拒絶するようにして横になっている。
「お薬をお持ちしました。」
そういって沖田の枕元に湯飲みを置いた盆を置いた。そして、いつもならすぐ立ち去るのだが、今日はそのまま座っていた。沖田が薬をちゃんと飲むのを確認するまでは、と背を向けたまま無反応な沖田を見つめ続ける。本当は千鶴にも分かっている。沖田が千鶴を冷たく遠ざける理由は、自分の病を千鶴に移さない為。あれだけ楽しそうに遊んでいた子供たちにはもっと早くから近づかなくなっていた。あれだけ傍若無人に振舞っていても結局沖田は自分以外の誰かの為だけを考えて行動しているように思う。
そんな沖田だから、どんなに苛められても泣かされても……冷たくされても離れようという気持ちになれなかった。沖田が沖田でいられる様に千鶴に出来る事なら何でもしたいと思っていた。それが何という感情なのかは分からないけれど。
「……なにしてんのさ。薬、置いたなら出ていきなよ。」
しばらく、そのままじっといていると、業を煮やした沖田が、すごく不機嫌そうな声で言い放つ。その声色に千鶴はびくりと跳ねるが、ぐっと手を握りしめて堪えると震えそうになる声にしっかりと力を込めて答える。
「山崎さんから聞きました。飲んでくださるまで、此処にいます。」
「……山崎君。余計な事を……。」
沖田の苦々しい声が聞こえる。それでも千鶴は引くつもりはなかった。その決意を悟ったのか沖田がいらいらと声を荒げる。
「なんで君にそんな事言われなくちゃいけないわけ?」
「……きちんとお薬を飲んで欲しいんです。」
「だから!……なんで君が!僕にそんな事……ごほっ。」
千鶴の言葉に憤った強い言葉がきっかけになったのか、沖田が咳こむ。激しい咳をまるで絞り出す様に吐き出す沖田に千鶴が少しでも楽になればと背をさする為に近づこうと一歩膝を進めた瞬間、沖田の鋭い拒絶の声が飛ぶ。
「来るな!……っ。近寄るなって言ってるだろう!」
千鶴はびくりと震える。だけど、今日の千鶴は引かなかった。そのまま膝を進めて沖田の背に近づいた。はっきりと見える拒絶の色を見て見ぬふりをして千鶴は沖田の背をさする。触れられた瞬間、びくりと沖田の背がはっきりと震えた。興奮が喉を苦しませるようでなかなかおさまらなかった咳が、徐々に静かになっていく。
「……わたしなら、平気です。移ったりなんてしません。」
「……君って馬鹿じゃないの?僕の風邪が君に移ることなんて気になんてしてない。そんなの僕には関係ない。」
沖田の様子をうかがう様に覗き込む千鶴から、すっと視線をそらしきつい言葉を続ける沖田に少し心が痛んだけれど、それは沖田の本心でない事は千鶴には何となくわかっていた。いつも人の事などどうでもよいといったふうに一歩引いた所から周りを見ている沖田が、本当はどれだけ周りに気を使っているか。あれだけ楽しげに遊んでいた子供たちを徐々に遠ざけていった。千鶴を遠ざける様になったのも自分の病を移したくないからだろう。ここの所は、幹部の皆どころか、土方や近藤にすらろくに顔を合わせていないはずだ。
最初は沖田の事が怖くて仕方なかった。でも、いつからだろう。それでも、この背中を追いかけてしまう様になったのは。……不意に零れ落ちる優しさに千鶴はきっと捕えられてしまったのだ。
「沖田さんは、多分お薬が苦いのがお好きでないから、飲まないなんて我儘をおっしゃるんですよね!」
「はっ?千鶴ちゃん、君、何言ってるの?」
深刻になっては駄目だと、必死に心を奮い立たせて、千鶴は心にもない言葉を精一杯明るく口にした。その言葉に沖田が呆気にとられた様に千鶴を振り返る。そんな沖田を無視するように、千鶴は必死に捲し立てる。
「だから、飲んだ後、口直しできる様に甘いものをお持ちしましたから。大丈夫です!ちょっとしかないので今回だけ特別です。」
「……あのねぇ、君は僕の事、馬鹿にして………、あ……。」
いきなり捲し立てる千鶴に、沖田がとうとう千鶴の方を見る。苛立ちを隠さないまま、千鶴に向けられた鋭い翡翠の瞳が驚きに丸くなる。千鶴が取り出して膝に乗せた小さな袋を見つめたまま、沖田の動きが止まった。千鶴の持ってきた袋は、まだ、沖田が起き上がることが出来た頃に気まぐれに貰った金平糖を入れた袋。どうしても辛くなった時、勇気をもらう為にだけ口にしてきたものだ。大切にしてきたけれど、もう本当に少ししかない。他のものからもらったものを足してしまう事は、どうしてか出来なかった。沖田以外から貰った物では千鶴には意味が無かったのだ。
千鶴に金平糖をくれた時、沖田は自分のものを買うついでだといっていた。きっとその金平糖は好物だというだけではなく、苦く辛い服薬を誤魔化す為のものだったのだろう。その大切なものを千鶴に分けてくれたのだ。千鶴は膝に乗せた袋をぎゅっと握りしめて、熱くなる目頭から雫が零れない様に、口にする言葉が震えてしまわない様に、それでも想いが伝わる様にと気持ちを込めて言葉を紡ぐ。
「これは私の特別なものなんです。だから、今回だけ、特別。きっと甘いからお薬飲んだのすぐに忘れちゃいますよ。」
「……馬鹿じゃないの。」
沖田がぼそりと呟いた言葉には、もう苛立ちの色は無くて、その意味と違うものが込められている様に千鶴には聞こえた。その声にぱっと顔を上げると沖田はやっぱり千鶴から目をそらす様にしているけれど、千鶴を射抜く様に発せられていた苛立ちも殺気ももうなかった。
「本当に、君って馬鹿だよね。………僕のことなんてほうっておけばいいのに。……ほら、薬。飲むからこっちに寄越してよ。」
「……はい、はい!」
「……うげ、やっぱり不味い。味よくわかんなくてもこれだけは不味いって判るよ。」
千鶴の差し出した薬を、えいっと飲み込む沖田に白湯と金平糖を差し出す。口を洗い流す様に白湯をのみ込んだ沖田がそっと金平糖を口に含む。
「甘い。……これだけは甘いって判るかも。……おいしい。」
ぽつりと零れた沖田の言葉に千鶴は、ほっと息を吐いてぺたりと腰を落としてその場に崩れ落ちる。そんな千鶴の様子に沖田はすこし微笑むとその笑みを千鶴に見られない様にとばっと布団にもぐり込んでしまう。
「沖田さんっ。」
「薬、飲んだんだからもういいだろ。……これからも甘いもの一緒に出してくれたら毎日飲んであげる。」
「……へっ?」
「……前に作ってくれた大根おろしのお粥ならちょっとだけ食べてあげてもいい。葱が入ってたら絶対食べないけど。」
「本当ですか!?」
急に布団にもぐり込んだ沖田に千鶴がおろおろとしていると、いままでの沖田からは得られなかった譲歩が次々に飛び出した。その事が嬉しくて千鶴は思わず大きな声を出してしまう。
「うるさいなぁ。君がどうしてもっていうから食べてあげるんだからね。」
「はい……はい!すぐ作ってきますね!」
「だから、うるさいって……。」
うるさげに沖田が振り向いた時には、千鶴は気分屋の沖田の気分が変わらないうちにと、飛び上がる様に沖田の部屋から駆け出していく。




病を、それも死病を得て。
零れ落ちる様に沖田を取り囲むものは変わっていった。

どんどんと奪われて刀すら握れなくなった体力と気力。
明るく励ましてくれる近藤がたまに見せる苦しげな表情。
なにか察したようにもの言いたげに向けられる土方の視線。
心配げに顰められた千鶴の悲しげな表情。

全部変わってしまったと思っていた。
零れ落ちる物を取り戻せない自分の無力さに、苛立ちを隠せなくなっていた。

だけど、変わらないものもあるのだと不意に気付く。

近藤の全てを覆う様な明るい呼び声も。
何時だって過保護な土方の叱責も。
そして、どれだけきつく当たっても何故か自分を追いかける千鶴も。

皆の自分に向ける気持ちだけは変わらないのだ。

自分が皆に向ける気持ちだけは変わっていない様に。




何時かと同じように駆けていく背を見送りながら沖田は、ぽつりと呟いた。
「変わんないなあ。……千鶴ちゃんは。ほんと、……馬鹿だよね。」



end.


お題「薄 桜 鬼で拾のお題」より
7.変わらないもの、変わりゆくもの

ずっと長い事ごにょごにょ書いていたものです。

前にアップしたものの続き。本当はこのあたりが書きたくて書き始めたのでした。
ずっと書いては消して……を繰り返していましたが、ようやく形になった感じです。
う〜〜ん。だけど空回りな感じがするなぁ。むずかしいなぁ。

総ちゃんにとっての変わらない(変わって欲しくない)ものに千鶴が加わった頃、という感じを出したかったんですけれど。

2011/10/31


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