続・夢へと続く道

「あれ!千鶴ちゃんかい?」
原田と千鶴が雪村の家に着いて、長く開けた家をきれいにしようと締め切っていた雨戸を開け放っていた時だった。千鶴の耳に数年ぶりに聞く声が届く。慌てて庭を見ると垣根越しに隣家の女性が立っていた。
「おばさん!」
その姿を見て千鶴が声を上げると、お留が裏口を開けるのももどかしいという様子で庭に飛び込んできた。そして千鶴を感触を確かめる様にがっしりと抱きしめると、一度離して顔を覗き込んできた。その懐かしいお留の顔に千鶴はうっすら涙を溜めて微笑んだ。その様子にお留はやっと千鶴を実感したように大きく息を吐いて、口を開いた。
「本当に千鶴ちゃんかい?京に行くっていったっきりもう何年だい?心配したんだよ!」
「すみません、後でこちらからご挨拶に行こうと思ってたんです!」
「いいんだよ、そんなこと。無事な顔が見れればそれでいいさ。…………綱道さんとは逢えたかい?」
隣家のお留は、母親の居なかった千鶴を何かと世話してくれた女性だ。京に行くといった時も最後まで心配して引き留めてくれた。千鶴が家を出て数年、雪村の家を気にかけていたらしく、物音に気付いて様子を見に来たらしい。すっかり娘らしく育った千鶴をしっかり確かめる様に見ると、ぎゅっと抱きしめる。千鶴は、懐かしい母代りの女性の胸に顔をうずめて、父の消息をどう伝えるかを迷って押し黙る。
「なんだ、千鶴。どうした?」
そんな時、奥で同じように雨戸を開けていた原田が、声に気付いて庭にやってくる。縁側にでてきた大男にお留が驚いた様に顔を向ける。
「あんた、誰だい?」
「あ、左之助さん、この人は、お隣のお留おばさんで……。」
「おう、左之助だ。よろしく頼む。」
千鶴の紹介に、原田はにこりと微笑むとお留に向かって一礼をする。普段ならその優しげな笑みで大抵の女性に好かれる原田だったが、お留は胡散臭そうな視線を原田に送る。お留にしてみれば、妙齢の娘の家に上がり込んでいる大男だ。千鶴に付きまとう男ではないか、千鶴をだましているのではないか、考えていけば限がない。千鶴を抱きしめる腕に力が入る。そのお留の様子に千鶴が慌ててお留の腕を抜け出して、原田のことを説明しようとする。
「あの、おばさん。この人は……わ、私の旦那様です………。」
「千鶴ちゃん?本当かい?騙されてないかい?」
千鶴が、恥ずかしそうになんとか絞り出した言葉にお留は心底驚いたようで、千鶴を覗き込むようにしてくる。だが、本当に照れくさそうに顔を赤くしている千鶴を見て、とりあえず脅されているなどの心配はない事を理解したお留は、すこし警戒の色を薄める。ただ、騙されていないとは限らない。生真面目で頑固だが、純粋すぎるが故の騙されやすさがある娘だった。父親を探す旅先で心細さから……ということも無いとは限らない。当分しっかり見張っておかないといけないわ、とお留は心の中で呟いた。そんなお留の様子に、機嫌を悪くするどころか嬉しそうにしながら、原田が恨めしそうな声を上げた。
「ひでえなぁ。………まあ、何年も返ってこなかった娘が男連れて帰ったら、そう思うわな。」
血のつながりはなくとも、これだけ千鶴を心配してくれる人がいるのだ、とおもうと原田は嬉しくなる。自分は死んだ事になっているし、もし生きている事になっていたら新政府からしてみれば元とはいえ敵方の幹部、十分なお尋ね者だ。昔の知り合いに連絡を取る事は難しい。千鶴の事は自分が守るとしても、自分だけでは千鶴を支えきれるとは限らない。男の自分には相談しにくい事だってきっとある。そういうことを相談できる人が千鶴にはいるのだということが、これからの生活にどれだけ大きい事か。
「なあ、千鶴。お茶でも入れて上がってもらったらどうだ?積もる話もあるだろう?」
「……あ、そうですね。おばさん、まだ掃除もしてなくて申し訳ないんですけど、よければ上がっていってください。」
「そんな、気にしないでおくれ。……ってもういっちまったかい。」
原田の言葉に、千鶴はあっと顔をあげる。厨は既にほこりを払ってある。直ぐに湯ぐらいなら沸かせるだろう。まくしたてる様にお留に告げると厨へと走り出す。そんな千鶴に、お留が気にするなと声をかけるが既に千鶴の姿はない。そんな千鶴の様子を優しく見守る原田を見てお留が、怖いぐらいに真面目な顔で詰め寄った。
「さて、左之助さんとやら、事情を話してもらおうじゃないか。」
「ああ、なんでも聞いてくれ。」
ぐいっと迫られて、原田は苦笑しながらも、真剣な眼差しをお留に向けた。


***


「すっかり時間が掛かっちゃった……。」
いくら埃を払ったとはいえ、数年の間、火を入れていなかった竈に手こずって、随分とお茶を入れるのに時間が掛かってしまった。道すがら買ってきたお茶とお茶請けを手にお留のいる庭に面した縁側へと向かう。そういえば、初対面の二人をすっかりほおって来てしまったが大丈夫だろうか。
「そうかい、そうかい。」
「ああ、残念だったんだがな。向うで荼毘に付してきたから、千鶴、随分しょげちまってて。」
「しょうがないさ、このご時世だ。逢えただけでも幸運だよ。」
……いったいなんの話をしているんだろう。お茶を手に縁側に近づくと、お留の感極まった声と原田のしみじみとした声が響いている。あれだけ原田を睨みつけていたお留だったはずなのに、どうしたんだろう。千鶴は首を傾げながら二人に声をかけた。
「すみません、時間かかってしまって……。」
「いいんだよ、千鶴ちゃん。それより、座って頂戴な。おばさんにもう一度ちゃんと顔を見せておくれ。」
「はい。」
戻った千鶴を近くへと座らせると、お留は千鶴をぎゅっと抱きしめた。
「聞いたよ。綱道さんの事、大変だったね。」
「……。」
「でも、安心したよ。千鶴ちゃんが元気に戻って来てくれて。……あとは、はやくやや子がみたいもんだねぇ。」
「は?お、おばさん?」
先程までの剣幕はどこへ?と問いかけたくなるほどの上機嫌で、お留はすっかり原田の事を認めたらしい。それは千鶴にとっては嬉しい事だ。だが、たったお茶を入れてくるだけの時間で、いったい何を話したというのだろう。
「やっぱりね、女は、惚れてくれた男と一緒になるのが一番だよ。大切にしてもらうんだよ。」
「心配いらねって、俺が千鶴を大事にしない訳しねえわけねえだろう?」
あまりの話の展開に千鶴はついて行けずに、言葉が出ない。ぱくぱくとしている間にもお留はすっかり安心したといわんばかりに大きく微笑む。
「また、来るわね。夕飯の支度をしないといけないからねぇ。」
「あ、はい……。」
「何かあったら、なんでもいいから相談にいらっしゃい。」
呆けたままの千鶴をほおって、一人納得したお留は、また裏口から隣家へと帰っていく。結局何も問えないままお留を見送った千鶴は、どうしようもなくて原田を見上げる。
「じゃあ、掃除の続きでもするか。」
「左之助さん、おばさんにどんな話をしたんですか?」
「あ?大したことはいってねえぞ。言えねえ事を端折って、簡単に今までの経緯をだな。」
お留の様子を考えるとどうもそれだけではない様に思えるのは千鶴の気のせいだろうか。だが、原田の様子におかしい所は見当たらない。
「本当ですか?」
「おう!あ、綱道さんは、京で逢えたけどすぐに亡くなったっていうことにしてある。……骨も拾えなかったからな。向うで荼毘に付した事にしたぞ。」
千鶴は、どういえばいいか分からず言い澱んだ事をかわりに説明してくれたらしい。どうしても嘘のつけない千鶴では不信感を与えることしかできなかったに違いない。俯いた千鶴に原田の掌がぽふりと降りる。
「よし、掃除の続きでもするか!ほら、千鶴。」
原田の掌が、くしゃっと千鶴の髪を撫でる。
その掌のぬくもりに千鶴は微笑むと、原田に促されるまま、家の中へと戻っていった。



数日後、この時、原田を問い詰めなかった事を後悔することになるとは知らないままに。



end.

すごく久しぶりの更新です…。あ、前もこんな書き出しだった。

ああ、中途半端になっちゃったな。
本当はここが書きたくて書いた話です。もうちょっと続きがある、はず。
原田さんとしては当然のことを言った事が、千鶴ちゃんには恥ずかしい事だったみたいな?
今度はもっと早くにアップしたい………です。

2011/06/09


inserted by FC2 system