月に還る

「月が綺麗ですね。」
原田の隣で千鶴が微笑んだ。こんな澄んだ笑顔の千鶴を見るのはどのくらいぶりだろう。

どうしても修復できなかった近藤と永倉の溝をきっかけに3人で新選組を離隊し、永倉の知り合いを頼って暮らし始めて数日が経った。
これからを相談するために毎日出掛ける原田と永倉を送り出し、留守の家を守って、笑顔で出迎えてくれる千鶴を見ていると京の頓所にいた頃・・・物騒ではあったが、穏やかに時が流れていた頃を思い出す。
でも、それだけではない、面映ゆい気持ちが原田の中で芽生えている。
(好いた女も所帯を持とうと思った女も初めてじゃねえだろうが・・・)
所帯を持って、かわいい嫁さんが迎えてくれるってのはこんな感じだろうか、なんて事を考えている心を原田は自覚して、苦笑してしまう。それが千鶴なら・・・と考える自分に気付いているからなおさらだ。

永倉との飲みを先に切り上げて千鶴への土産を手に家に帰って、二人縁側で月を肴にゆったりと時を過ごしていた。原田は酒杯を、千鶴は湯呑みを手にして並んで月を見上げる。
「ああ、本当に綺麗だな。」
月を見上げて微笑む千鶴の声に原田が答えた。
「芳賀さんたちとの話がまとまったら、また男所帯になっちまうな。そうしたらお前にまた窮屈な思いさせちまうかもしれねえから、今はゆったり羽を伸ばしとけよ。」
もう既に千鶴を自分の傍から離してしまう気は原田にはない。だから、当たり前のこととしてこれからの事を口にして原田は千鶴の方をみる。
だが、原田が視線を送った先にある千鶴の表情に、何故か背筋がぞくりと粟立った。
千鶴は、ただすこし困ったように微笑んでいるだけだ。青白い月明かりを浴びている為だろうか。ただそれだけの表情が原田の心をざわつかせていく。思わず原田が千鶴の腕を捕った。急な衝動で縁側に置く事ができず、杯が手を離れ庭に転がっていく。
「きゃっ、原田さん?ど、どうしたんですか?」
「・・・あ、わ、悪い。」
急に腕を捕まれた千鶴が上げた声にはっと原田が我に返る。
(なんだ、今のは。千鶴が・・・消えちまうなんて。そんな訳あるはずがねえのに。)
千鶴の腕を離して原田は転がった杯を拾う為に腰を上げながら千鶴に謝罪する。今感じた不安を誤魔化すように嗤い話でもする様にわざと明るく言葉にする。
「なんかなぁ、千鶴が月の光に溶けちまうんじゃねえかって思ってな。ははっ・・・馬鹿みてえだろう?千鶴が消えちまうなんて事ある訳ねえのにな。」
謝罪に続けた言葉に千鶴がビクリと震えた事に、庭に降りている原田は気付かない。千鶴は震えを押し隠すようにして微笑むと原田の言葉から思い出した物語を口にする。
「・・・わたしが輝夜姫ですか?」
「うん?・・ああそうか、月明かりの下の千鶴があんまり別嬪さんだったからか。」
千鶴の言葉に、杯を拾った原田が振り返って真顔で納得したように頷いた。その真正面からの誉め言葉に千鶴は赤面して俯いてしまう。
「もう、私はそんなに綺麗じゃありませんよ。」
「なにいってやがる。十分綺麗だぜ。でも、そうだな、お天道様の下の方がもっと綺麗だな。お前はそうやって笑ってろ。」
そういって原田は、千鶴の頬にふれる。俯いた顔を上げさせて赤く染まった千鶴を見つめる。
(ああ、ちゃんといつもの千鶴だ。)
幻のように消えそうに見えた千鶴ではなく、いつも原田の隣で微笑んでいる千鶴だと確認するように頬を撫でて原田は安心する。
「あの・・・・原田、さん?」
いつも、頭を撫でてくれるのとはまるで違う原田の手に千鶴が戸惑うように呼びかける。
「ああ、悪い。ちゃんと千鶴がここにいるって確認したくなっちまってな。・・・ほんと、今日の俺は馬鹿みてえだな。」
原田が苦笑して、名残惜しそうにもう一撫ですると千鶴の頬を離す。千鶴は向けられた端正な顔に浮かぶ甘い苦笑と、囁くような甘い声にどうしていいか分からないほど動揺する。
「・・・ああ!新しい杯を持ってきますね!」
そういうと千鶴はパタパタと廚に駆けていく。そんな千鶴の後ろ姿を見つめて、原田は深い安堵の溜息を吐いた。


廚にたどり着いた千鶴は、上がった息を整えるように深呼吸を繰り返す。
(どうしよう。あんなふうに見つめられたら期待してしまう・・・。)
原田に抱いた淡い思いはどんどん増していくばかりで、すべてが初めてな千鶴には衝動に抗う事すらうまくできない。
それでも。原田の夢を実現するにはどう考えても千鶴は邪魔なだけ。やはり、早くここを出ていかなければいけない。
千鶴は唇に、そして頬に手を当てる。
(この思い出だけ抱いて消えてしまえたら、どんなに楽だろう・・・。)
だけど、本当に消えることが出来ても千鶴はそれを選びはしない。
「・・・父様を止めなくちゃ、駄目だもの。」
この葛藤を原田に覚られないように、心に深く深く押し込めて、千鶴は原田の待つ縁側に戻っていった。



end.

頓所を出てから想いを伝えあうまでの間という設定で。
左之さんのもとを離れようとする千鶴に一瞬気付きそうで、気付けなかった左之さんという感じを出せてますでしょうか。
この辺りの千鶴の葛藤が苦しいけど、好きなんだなと改めて実感しました。

2011/02/23


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