そばに眠る、届かない花

ex. 君に、逢いに行く




「はぁっ。」
口を開けば、溜息ばかりが漏れる。
世間は連休。千鶴だってお休みだ。それはいい。だが、問題は一緒に過ごすはずだった相手の方で。
「まさか、急に出張だなんて……。」
一週間と少し前に、暗い顔で帰ってきたその人からこぼれた言葉は今も鮮明に覚えている。




隣同士の幼馴染で、紆余曲折を経て、恋人という間柄になった。「お兄ちゃん」改め「左之助さん」が夕食を準備してある千鶴の家にやってきた。お互い親が忙しく、子供のころからこうして食事を一緒に取っている。こうして恋人同士になってもその習慣は変わらず、こうして一緒に食事をしている。
「千鶴、悪い。出張が入っちまった。」
社会人というのも大変だ。原田を見ていると、しみじみと思ってしまう。だが、どうしてそこに千鶴への謝罪が入るのだろう?
「大変だね、社会人っていうのも。準備手伝うから言ってね。何日くらい?1泊?2泊?」
「いや、な。一週間。」
「へ?い、一週間!?」
心底嫌そうに髪を掻きながら、原田が言いにくそうに告げる。まさ、か。それは一週間ほど先に控えている連休に引っ掛かる、ということ、だろうか?
「すまん!!3日後から一週間。ばっちり連休に引っ掛かるんだ。帰ってくるのは連休最終日、だ。……その後に代休はもぎ取る予定だけど、な。本当にすまん!!」
ばっと頭を下げてくる原田を見つめて、千鶴は呆然とした。最近、ずっとお互い忙しくて、こうして食事を一緒に取る位しかしていない。それでも連休は思いっきり一緒に過ごすのだと決めていたから我慢も出来た。それが……なんてことだ。
だが、原田の仕事の邪魔をするわけにはいかない。千鶴自身はまだ大学生で、原田の取るという代休に合わせて予定を組みかえるのは簡単だ。原田を困らせるなんて、しちゃいけない。
きゅっと掌を握りしめるとにっこりと原田に内心を覚られない様に笑顔で答えた。
「しょうがないよ、仕事なんだもん。お仕事がんばってね。」
どんなに繕っても物心つく前から一緒にいる原田に千鶴の気持ちが分からないわけがない。それでも、笑って頑張れといってくれる千鶴に、原田は髪を掻き回す様にぐりぐりと撫でまわして、その掌でするりと千鶴の頬を愛おしそうに撫でている。
「本当に、すまねぇな。」
「大丈夫。だから千鶴の事は心配しないでね。おに、左之助さんの方こそ、身体に気をつけてね。……ほら、ご飯、食べよう?」
にっこりと笑って、原田の夕飯を温め直す為に台所に向かう千鶴の後姿を原田が切なげに見つめていた。





その後、原田を通じていろいろお世話になっている原田の上司、土方にまで「本当に悪い。穴埋めはきっちりさせるから。」とメールをもらって、逆に恐縮してしまった。
だが、いざ数日前に後ろ髪を引かれる様に、しぶしぶと出かけていく原田を見送ってからというもの、すっかり心は折れてしまって、溜息ばかりが漏れていく。
余りにも暗く溜息ばかりをついている千鶴に、兄である薫はうっとうしそうな顔をして言い捨てた。
「あのさ、別に1年逢えないってわけじゃないだろ?たった一週間じゃないか。お前、そんなのも我慢できないのか?」
「だって……。」
「『だって』じゃない!そんな顔ばっかりしてると、左之兄にメールするぞ?『千鶴が辛気くさくてうざいのでさっさと帰って来てください』って。」
「だめ!薫。絶対そんなメール送らないでね!!」
原田が出掛けてしまうまで、必死に明るく振舞っていたのだ。そんなメールを送られてしまったら、本当は千鶴がすごく寂しく思ってるって知られてしまう。原田の所為ではないのに、そんな子供みたいな我儘で忙しく働く原田を困らせたくはなかった。薫の言葉に、千鶴は口止めをして立ち上がる。このまま薫の前にいたら怒られるばかりだ。




「どうせ、バレてんのに……。」
千鶴に聞こえない程度にボソリと薫が呟いた。千鶴的には兄である自分以外には隠しているつもりらしいが、周りには分かりやす過ぎる千鶴の落胆に、「また、『お兄ちゃん』がらみか。」と半分呆れつつ心配をしている。ただ、隠しているつもりの千鶴を問い詰めることをせずに、薫にお千の激しい突込みがくるので、薫にしてみればいい迷惑だ。
それこそ、生まれた時からの付き合いの原田にそんな千鶴の気持ちなんてお見通しだと思うのだけど。……いや、意外に分かっていなかったりするのだろうか?
妙に心配になって、薫は携帯を片手に千鶴が薫から逃げる為に掃除を始めたリビングを後にする。
「……あ、もしもし。左之兄?今大丈夫?………うん、そう。………ふ〜ん。分かった。…………別にそんなんじゃない!もう切る!」
乱暴に携帯の終話ボタンを押すと、薫は、ふぅ、と大きく溜息をついた。
(まあ、たまにはいいか。……左之兄以外なら絶対に許さないけど。)
なんだかんだと言ってはいても、千鶴には甘い薫の顔は、安堵の笑みが浮かんでいた。




お千や平助、大学の友達が、遊びに誘ってくれたけれど、その誘いに乗る気分になれなくて。自分の部屋で引きこもって連休を過ごすと決めた。
お気に入りの音楽を流して、お気に入りの紅茶をポットにたっぷりと沸かして、とっておきのお菓子も引っ張り出した。それでも浮上しない気持ちを持て余して、千鶴はベッドにあるぬいぐるみを引っ張るとぎゅっと抱きしめて、ごろりところがった。
おおきなそのぬいぐるみは原田にプレゼントされたものだ。原田が就職して最初の給料で買ってくれた大切な大切なぬいぐるみ。原田の使うコロンと同じものを染み込ませてあるから、寂しくなるとこうして抱きしめている。でも、おなじようでもどこか違うその香りが、今はなんだか切ない。
いままでだって、原田に逢えない日はいくらでもあったのに。
恋人になってこんなに逢えなかったのは初めてだからだろうか。思ったよりもずっと寂しい。
原田と恋人になったら、きっと毎日幸せだと思っていたのに。
……むしろ、胸がぎゅっと痛くなる事が多くなった気がする。
どれだけ一緒にいても足りない。大好きで大好きで、どうにかなってしまいそうだ。
前は、近くに入れるだけで幸せだったのに、なんでこんなに我儘になっちゃったんだろう。

ごろごろとしているうちに眠っていたらしい。
不意になった電話の音で目が覚める。原田からの着信を伝えるメロディーが軽やかに鳴り響く。
千鶴は、眠い目を擦り、慌てて通話ボタンを押した。
「も、もしもし!お兄ちゃん!?」
『……おう、千鶴。いま、平気か?』
慌て過ぎて、裏返る千鶴の声にクスクスという笑い声と共に、原田の低い声が千鶴の耳をくすぐった。今は、何時だろう。千鶴はきょろきょろと時計を探して時間を確認しながら原田の声に答える。
「うん!大丈夫!……おに、あ、左之助さんは平気?」
『ああ、今は昼休憩。』
確かに、すこし遅めではあるがお昼の時間だ。でも、どうしたのだろう?こんな時間に原田が電話してくるなんて。だが、今はそれよりも原田が元気かどうかが知りたい。もっと声が聞きたい。
「仕事はどう?身体は大丈夫?疲れてない?」
『千鶴、落ち着けって。……それよりな、千鶴。今部屋だろ?リビングに降りてみてくれ。』
矢継ぎ早に言葉を投げかける千鶴に原田が呆れたような声色で千鶴を制した。その声に、落ち着きを取り戻す様に深呼吸をした千鶴に、続く言葉はよくわからない指示だった。
「え?リビング?……もしかして、なにか忘れ物?」
『まあ、ある意味そうかもな。いいから降りろって。』
「うん、分かった?」
携帯を耳に押し付けたまま、自分の部屋を出てリビングへと向かう。一体何を原田は忘れたのだろうか。パタパタと階段を下りてリビングに入る。そこには誰もいない。薫はサークルがあるといっていたから、出掛けてしまったのだろう。父親は相変わらず仕事三昧、家にいるはずもない。
『着いたか?なあ、千鶴。テーブルの上に何かないか?』
「え?テーブル?……ご飯の後にちゃんと掃除したからなんにもないはず……あれ?」
今朝、掃除をした時には何もなかったはずのテーブルの上に、チケットを入れる様な封筒が一つ。薫の忘れものだろうか?
「封筒があるけど、これがどうしたの?」
『開けてみろよ。』
「え。だって……。」
『いいから。』
原田の言葉に、千鶴が封筒を開くと其処には電車の切符。行先は……原田の今いるはずの地名が書かれている。
『なんて書いてある?千鶴。』
「え、あ、なんで?なんでこんなチケットがここにあるの?」
混乱する千鶴に原田の甘い声が入り込んでくる。恋人になってしったことの一つ。千鶴にだけ聞かせてくれる恋人としての優しくて甘くて千鶴を甘やかしてくる声、だ。
『俺の仕事な、予定より早く終わりそうなんだ。………夕方には終わる。な、千鶴、こっちに来いよ。』
「あ、あ、だって。そんな、お仕事……の邪魔、したくない。」
『仕事は終わるんだ。ホテルは今日はツインに変更してもらった。千鶴が来てくれないと、困る。』
「でもでも!だって……。」
原田は仕事で出掛けたのだ。千鶴は邪魔をしてはいけない、心配を掛けてはいけないと必死にこらえて原田を送り出したはずなのに。
(だって、お兄ちゃんは明日には帰ってくるはずで、私は疲れてるお兄ちゃんに好きなものを用意して待ってなくちゃいけないのに。……お兄ちゃんはずっと仕事で疲れているはずなのに。なんで?)
……どうして、原田はいつも千鶴を甘やかすのだろう。
『千鶴。俺が千鶴とデートしたいんだ。ゆっくり食事をして、ラウンジで夜景を見ながらカクテルを飲んで、一緒のベッドで眠って、知らない街を千鶴と一緒に歩きたい。千鶴も大学生だもんな。そんな大人のデート、しようぜ。』
どうしていいかわからなくてポロポロと流れる涙で視界が歪む。そんな千鶴を原田の声が満たしていく。
「お、おにいちゃ……。」
『お兄ちゃん、じゃない。左之助、だ。なぁ、千鶴。来いよ。』
「……。」
『ちーづる?返事はどうした?………俺の我儘、聞いてくれよ。な?』
「……、しょ、しょーがないなぁ。千鶴だって忙しいんだよ。でも、左之助さんの我儘だから、聞いてあげる!」
涙に濡れた声じゃあ、迫力なんてまるでないけど。精一杯の虚勢を張って千鶴が答えると、電話の向こうで原田の笑い声が響いた。
『ああ、しょーがない恋人の我儘、聞いてやってくれ。じゃあ、お洒落して来いよ?……見えない部分もな。』
「は?え、さ、左之助さん?!」
『じゃあ、ホテルで待ってるから。』
言う事は言った、とばかりに携帯がプツリと切れる。後に残ったのは、千鶴の手の中のチケットと爆発しそうに赤く染まった千鶴。
(そ、それって……えぇぇ!!)
どうやら、千鶴はいろいろと覚悟を決めて行かなければならないらしい。
「さ、左之助さんの……えっち。」
ぽつり、一言と呟いて。
千鶴は支度をする為に、バタバタと駆けだした。



end.


2012/1/8 インテ参加記念に発行した無配から。
たしかインテでほとんど配れなくてSCCでも配ったような気がします。

こんなに長く本編のめどが立たないなんて思いもしなかった頃書いたものです。

このあと千鶴ちゃんが左之さんの出張先に辿り着いてからのお話を書き下ろし分として本に掲載しています。
調子に乗ってRが付く話にしてしまったので、WEBに乗せることはないです。ご了承ください。

これでこの二人のお話は最後です(多分)。

ありがとうございました。


2013/08/10


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