あなたの隣で目覚めた朝は

 二年上の原田と交際を始めて数ヶ月、もうすぐ原田の誕生日だ。
 大学入学すぐに出会って、一年後付き合い始めた。付き合い始めは、千鶴を溺愛している兄の薫や同じサークルの仲間たちに散々邪魔をされたりして大変ではあったが、今はそんなこともなくなった。単に、薫の嫉妬に便乗したお祭り騒ぎみたいなものだったようで、ひと月もするとすっかり飽きてしまったらしく今ではすっかりサークル公認カップルになってしまっている。薫もしぶしぶ納得はしてくれた。
 ただ、その騒ぎのおかげか、大学にたくさんいる原田ファンの女子たちからは同情の眼差しを向けられるものの、目立った嫉妬などを受ける事無く過ごしている。

 目下の千鶴の関心事は原田の誕生日を如何に過ごすか、ということに集中している。
 大学4年となって卒研や就活に忙しそうにしている原田をせめて誕生日くらい楽しく過ごして欲しいと千鶴は頭をひねっている。きっと社会人になればもっと時間に制約が出来てしまって当日に……なんて甘いことを言ってはいられないと思う。千鶴も今はまだ教養課程でそれほど忙しいわけではないが専門課程が始まれば忙しくなってしまうだろう。
 初めて彼氏彼女として過ごすこの誕生日を絶対に楽しく過ごしたい!と大人しい千鶴にしては、物凄く張り切っている。

「でね!お千ちゃん、どうしたらいいと思う?」
 だがいかんせん今まで男性恐怖症気味に過ごしてきた千鶴の知識では男の人に喜んでもらえるプランなど練る事が出来ず、講義が一コマ開いた時間を利用して親友の千に相談を持ちかけた。そんな妙に気合の入った千鶴の様子に千は呆れのため息を吐きながら答える。
「……あの原田先輩だもの。千鶴ちゃんと一緒に過ごせればそれでOKなんじゃないの?」
「そ、それじゃいつものデートと変わらないもん。」
「ああ!!もう!!どうしてこんなに可愛い千鶴ちゃんが原田先輩のものなのよ!……私の千鶴ちゃんだったのに……。」
 千の答えに、真っ赤になってそれじゃ駄目なのだという千鶴に千が目を奪われて、ぐぐっとこぶしを握って叫ぶ。大学のカフェテリアでの突然の大声に、周りの視線が集中するがそれも千鶴と千だと知ると妙に納得したような顔でみんな自分の日常に戻っていく。千の千鶴への溺愛っぷりもすっかり有名になってしまっているのだ。
「お、お千ちゃん、落ち着いてってば。」
「あ、ごめん。じゃあ、プレゼントを頑張ってみるとか?」
「うん。でも、そんなにお小遣いもないし……。」
「そうじゃなくてね。お金を掛けずに工夫をね……。」
千が提案を耳打ちすると千鶴は顔を真っ赤に染めたが、関心はあるらしく、そのまま二人の作戦会議は次の講義まで続いたのだった。



 明日は誕生日。二十を超えた男としてはそんなに気にするような記念日ではない。だが、可愛い彼女が出来たばかりの原田には楽しみな記念日に早変わりだ。少し前から彼女――千鶴がとても張り切って準備してくれているのを見ていれば、おのずと気分も高揚してくる。
 去年は確かサークルの飲み会のネタにされただけだった。お祭り好きのメンバーがそろっているから皆の誕生日は大概そうやって過ごしている。毎回馬鹿騒ぎで終わる飲み会だったが、それでも当時付き合う前の後輩だった千鶴は手料理やケーキを用意してくれたんだった。客観的に見ても、他のメンバーの時よりも手の込んだそれらに平助や新八が「贔屓だ!」と騒いだのを覚えている。そのころから千鶴にとって原田が特別だったのだろうと思うと思い出す顔がにやける。
 飲み会は今年は翌日に設定された。というか無理矢理翌日にさせた。千鶴がせっかく準備してくれているのを無駄にするわけにはいかない。先に飲み会が決まってしまえば、千鶴が遠慮してそちらを優先させてしまうのは目に見えていたから、先手を打っておいたのだ。
 その日程を確認した千鶴が、今年は朝から家に来てもいいかと顔を真っ赤に染めた千鶴に聞いてくるのに、即座に頷いた。本当なら前の日から泊まってくれてもいいんだと言おうとして、それは口に出さずに飲み込んだ。
 一人暮らしの原田の家に真面目な千鶴が入り浸るようなことはなかったが、時折訪れては料理をしてくれたりしている。家でのんびり過ごすデートをすることもあった。だが、千鶴はまだこの部屋に泊まっていったことはない。
 泊まっていけよと言いたい気持ちを原田はいつも飲み込んでいた。言えば千鶴が気にするのがわかりきっていたからだ。
 何故なら千鶴の兄である薫が原田との付き合い(というか男との付き合い)を嫌っているため、簡単に外泊という訳にいかないのだ。門限ががっちりと決められて少しでも過ぎようものなら乗り込んできかねない。それに千鶴の性格では嘘をついてまで泊まっていくなんて無理だろう。それを強引に押し切らせることも出来るかもしれないが、むしろ原田はそうさせないために千鶴に泊まれと言ったことがない。
 原田としては、千鶴との未来を考えているから、兄である薫に悪い印象を持ってもらうわけにはいかない。ただでさえ初対面で千鶴と薫を間違えてしまうという失態でどうにも印象が悪いのだ。ここは大人しく(表面上は)健全なお付き合いを続けるしかないだろう。
 だが、やっぱり千鶴に泊まっていってほしいという気持ちは強い。女と付き合うなんて慣れてるはずだったのに、千鶴が相手だとどうにも普段通りにいかない。いつだって自分を見ていてほしいし、時間の許す限り一緒にいたいと思う。だが、千鶴にも勉強や他の友人と過ごす時間が必要だ。だからこそ、一緒に過ごせる日は出来るだけ長く過ごしたい。
「いつもとは言わねえけど、たまには……なぁ。」
 自分でも呆れるほど千鶴に惚れてると思う。自分がこんなに独占欲の塊だったとは思わなかった。だからといって強引に事を進めるのは、気が進まないのだから我ながら矛盾しているなと思う。
(でも、明日は朝から千鶴が来るんだよな。)
 そう、明日は千鶴の門限までずっと一緒に過ごせる。ここの所ずっと忙しくしていたから、短い時間しか一緒に居られなかった。そう考えると誕生日っていうのも悪くない。
 千鶴が来る前にと散らかした部屋を片付けながらそんなことを考えていると、ふいに玄関のチャイムが鳴る。まだ深夜という時間ではないが、来客があるような時間ではないのだが。明日千鶴を迎える準備のために、今日は誰とも約束はしていないはず。
(新八か?飲むのは断ったってのによ。)
 やれやれと片づけをしていた手を止めて、玄関へと向かう。
「はいはいっと、いったい誰だよ……。って?」
「こんばんは、左之助さん。」
「あ?ち、ちづる?お前、どうしたんだ?何かあったんか?」
 てっきり永倉や藤堂だと思って乱暴にあけたドアの向こうに立っていたのは、千鶴だった。ここまで走ってきたのだろうか、頬を少し染めて軽く上がった息を弾ませている。その手にはいつもより少しだけ大きな荷物。普段の千鶴なら外出するような時間ではない。まさかとは思うが、薫とけんかでもして飛び出してきたとかじゃないかと思わず心配が先に出る。
「何もないですよ。……お邪魔してもいいですか?」
「あ、ああ。もちろん。……いまちょっと片付けてたからまだ散らかってるぞ。」
「はい、構いません。」
 驚きでまだ動揺しているが、このまま玄関で立ち話をしていてもしょうがないだろう。千鶴の肩に手を回して抱き寄せるようにして部屋に引き入れる。走って汗をかいた上に夜風に吹かれたせいか、千鶴の身体が少し冷えている。原田の腕に包まれてほっとしたように千鶴が冷えて強張った身体をすこし緩めたのが伝わってくる。
「お片付け、お手伝いしますね。」
 原田の部屋が散らかっているといってもそこまでひどい状態になっていることはないのを知っている千鶴がふふっと微笑んだ。

 部屋に通して千鶴がいつも使っている座布団代わりのクッションを渡す。時間を見れば、門限まで余り時間がない。送ってやるにしても話を聞いたらすぐに出なければいけないだろう。何度か訪れてすっかり慣れているはずの原田の部屋で千鶴は受け取ったクッションにちょこりと座ったが、なんだかそわそわと落ち着かない様子だ。少しでも冷えた身体を温めてやろうとホットミルクを用意して戻ると、ちょっと緊張した面持ちだった千鶴がミルクの香りに反応してふわりと微笑んだ。
「ほら。」
「はい、ありがとうございます。……キャラメル?」
「おう、砂糖の代わりにシロップ入れてあるからな。」
 ミルクのマグを抱えてほんわり笑う千鶴の頭を原田の掌がぐりぐりと撫でる。それにしても急にどうしたのだろう。千鶴が落ち着くのを待って原田が口を開く。
「で、いったいどうしたんだ?」
「あ、あの。」
 原田の問いかけに千鶴がマグカップを握り締めたまま、言いよどんで俯いて深呼吸をしている。一体なんだというのだろう?何度か深呼吸をしてやっと決心が付いたらしい千鶴が、マグカップをテーブルに乗せてから原田を見上げてようやく口を開く。
「あの!」
「お、おう。」
「今日は、お泊りに来ました。」
「……は?え?……お、お泊り?」
「はい。……駄目ですか?」
「いや、全然駄目なわけねぇけど。ちょっと待てな。」
「え?はい。」
 突然の千鶴のお泊り発言に原田はかなりパニックになった頭を整理する。どう考えても真面目な千鶴が急に男の家にやってきて泊めてくれってのはやっぱりおかしい。やっぱり家出ってのが順当だろう。そんなふうに頭を巡らす原田を不思議そうに見上げて千鶴が首をかしげている。
 原田としては千鶴が頼ってくれたのはうれしいが、ここはしっかり自分の欲望は抑えて、兄弟の仲を取り持ってやるのが先輩として恋人として正しい姿だろうと心に決める。ふうと大きく息を吐くと千鶴を見据えた。
「……千鶴、お前やっぱり薫とけんかでもして出て来たんじゃあねえのか?それなら、送ってやるからちゃんと仲直りしろ、な?」
 原田の勘違いに千鶴は、吃驚して慌てて否定する。
「ち、違います。薫とはけんかなんてしてませんし、ちゃんと話してきましたから。」
「は?薫が?」
「はい、ちゃんと薫には説明してきました。……ちょっと強引でしたけど。」
 千鶴のしっかりとした頷きに原田がぱちくりと瞬きをした。ぽかんとした原田に千鶴が何度もこくこくと頷く。その千鶴を見てやっと事態が呑み込めた原田の顔に喜びの表情が広がっていく。
「じゃあ?」
「はい。先輩が……じゃなくて、左之助さんが良ければ……今日ここに泊まっていいですか?」
「おう!駄目なわけねえだろ!!」
「きゃっ!!」
 付き合い始めて数か月、ようやくの千鶴のお泊りだ。喜んだ原田が千鶴を引き寄せてぎゅっと抱きしめた。驚いた千鶴だったが、嬉しそうな原田を見て千鶴も嬉しそうに原田に抱きついた。



 それからお風呂に入ったり(もちろん別々にだ)部屋の片づけの続きをしたりとバタバタとしていたが、日付が変わる前にはすべて終わって、あとはもう眠るだけだ。
「でも、急に来るからびっくりしたぞ。」
「だって、びっくりさせたかったんです。……いつも私の門限の所為で時間気にしてばかりだったから。」
「千鶴……。」
「先輩はいつも門限に間に合うように送って下さって。でも、たまに寂しそうにされてたから。……ずっと一緒に居られればいいのになって、思ってたんです。」
 ベッドに寄りかかって座る原田にもたれるようにしていた千鶴が頬を染めて恥ずかしそうにして俯いた。千鶴の負担にならないように言わないようにしていたのに。原田の気持ちを察してくれていた千鶴が可愛くてその肩を引き寄せてそっと抱きしめる。
「だからこれも誕生日プレゼントになるかなって思って……。」
「ああ、すげぇ嬉しい。……ありがとうな。千鶴。」
 耳まで真っ赤にして原田の胸に顔を埋めた千鶴の頭頂に口づけを落として原田が礼を言うと、ふるふると千鶴が頭を横に振る。
「プレゼントなのもあるんですけど。……私も先輩の部屋に泊まってみたかったんです。だからちょっとズルですよね。」
「千鶴がそう思ってくれてたのも嬉しいから。本当ありがとな。」
「えへへっ。……あ、でももう一つあるんです。」
「もう一つ?」
「はい!あともうちょっとですね。」
 原田の感謝に嬉しげに笑った千鶴が、思い出したように原田の胸から顔を上げる。そして何かに目をやると楽しそうにその「あともうちょっと」を待っている。原田は何がなにやら分からないまま千鶴の目のやった先に視線を送るとそこには壁掛け時計。もうすぐ二本の針が一番上で重なる時間。
「あ!左之助さん、お誕生日おめでとうございます!」
「うん?ああ、そうか。ありがとう。」
「一番に言いたかったんです。おめでとうございますとありがとうございますって。」
 時計の針が重なったのを確認した千鶴が、満面の笑みで原田に伝える。一瞬何のことだと思った原田だったが日付が変わって自分の誕生日が来たことを思い出して破顔する。これを伝える為に泊まりに来てくれたのかと原田はやっと納得した。
「ありがとう?」
「はい。私を見つけてくださって、今こうして一緒にいられることに。」
 そういって原田に抱きついてきた千鶴を原田はぎゅっと抱きしめる。原田だって同じ気持ちだ。だが、それは今ではなく、千鶴の誕生日に伝えたい。そう思った。だから今は言葉じゃなく、違う事で伝えてしまおう。
 抱きしめていた千鶴を膝の上に抱き上げて、その愛しいかんばせにキスを降らせる。頬や額、もちろん唇にも。
「……んっ。せ、んぱ、……?」
「お前が可愛いことばっかり言うのが悪い。……止まんねえぞ。」
「んっ…できれば、て、手加減……あ……や、あっ。」
 千鶴の耳元で甘く響いた低い声に千鶴はぞくりと身体を震わせる。この先を想像して、真っ赤に頬を染めて手加減してと縋ったが、原田の熱のこもった視線と激しい口付けで遮られる。
「大丈夫だって……泊まってくんだろ?」
 普段の原田とは違う激しい劣情が透けて見える表情に千鶴がどきりとする。ひょっとして今まで千鶴を門限までに帰す為にセーブしていたのだろうか。ちょっと泊まりに来ることを安易に考えていたかしらと千鶴の頭を一瞬よぎるが、初めて見る何も隠さない原田の様子を見てドキドキしている自分がいるのも確か。返事の代わりに原田の首に手を回して抱きつくと原田がふっと笑って千鶴を抱き上げてベッドへ雪崩れ込んだ。



 ふっと目を覚ますともう外が明るくなり始めている。だが、まだ起きるには早い時間だ。いつもはないぬくもりが腕の中にある。千鶴を家に帰すことを考えずに思う存分千鶴を愛しんで眠ることが出来てちょっと浮かれているのかもしれない。
 さすがに疲れ果てた千鶴はまだよく眠っている。あまりきちんと後始末をしてやれなかったからパジャマを着せることが出来なくてまだ生まれたままの姿で原田の腕の中にいる。ちょっと無理をさせたから千鶴はすぐに起きれないかもしれない。朝食は自分が作って、ちょっと行儀が悪いかもしれないけどベッドで食べよう。千鶴は恥ずかしがって拗ねるかもしれないけど、抱き上げて一緒にシャワーを浴びたい。
 いつか毎日一緒に目覚める日が来るはずだけれど、今は特別。この特別を思う存分楽しみたい。
 だから今はもう少しこの大切なぬくもりを抱きしめて眠ろう。
 二人一緒に目覚める朝を楽しむために。



end.

昨年の8/12、C84 夏コミにて無料配布でした。

昨年はいろいろ誕生日ものを書いた年でした。
で、最終的に左之さんを書きたい、だがいつどこで?と悩んだ挙句、夏コミ当選という幸運が舞い込んだのでえいや!と(笑)。

以前発行の「桜の彼方」の設定で。公式に誕生日設定がないので出来る限りどの時期か特定しないように書いたつもりです。
年上としてちゃんとしたい左之さんとその理性をぶち破る千鶴ちゃんです。

一応ね、夏コミに発行した理由も今日アップした理由もちゃんとあるんですけど。まあ、そういうことで。


2014/05/17


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