薄紅の未来の先に

 寒い京の冬もようやく、和らいできた気がする。
 朝早くから、朝餉の支度に掃除、洗濯とぱたぱたと走り回っていた千鶴だったが、ようやくひと段落だ。水が緩んで作業がはかどるようになってきたからかもしれない。いつもならひと息つく暇もなく行なう昼の準備だが、今日はまだ大丈夫のようだ。
 この短い時間を、千鶴は休憩するのではなく、冷えた身体を陽で暖めながら出来る作業に当てようと、繕い物を取り出して縁側に並べる。繕い物は冬の間は日が短い上、凍えた指先ではなかなかはかどらない仕事の一つだ。この陽気なら、灯りも火鉢もいらないだろう。裁縫道具も縁側に引っ張り出すと、早速働き始める千鶴だった。

 四半時ほど続けていると、大分陽も高くなってきた。きりのいい所で次の仕事にと思い始めた頃だった。
 此方に歩いてくる足音がする。此処は千鶴の部屋の前の縁側だ。土方の部屋に報告に行く幹部だろうか?でもこの足音は……。
「おっ。今日はここに居たか。」
「……あ、原田さん。お帰りなさいませ。土方さんのところに行かれるならお茶を……。」
「ああ、違う違う。土方さんに用じゃねえよ。非番だったからな、ちょっと顔出してみた。繕い物か?」
「はい。昼餉の準備まで時間があったので。原田さんは、どこかにお出掛けですか?」
 やっぱり、原田だった。間近になった足音に顔を上げると原田の笑顔がすぐそこにあって、どきりと胸が鳴る。千鶴が女であることに一番気遣ってくれ、何かと声をかけてくれる原田を千鶴が慕うようになるのはあっという間のことだった。今日もせっかくの非番だというのに千鶴の様子を見に来てくれたらしい。針を持ったままでは失礼だろうと、きりのいい部分までさっと縫ってしまうと針を針山に戻して、もう一度、原田を見上げる。
 でも非番なのだから、きっとこれから出掛けてしまうんだろう。ほんの少し、こうして声を掛けてくれるだけでも十分嬉しいけれど。最近はもう少し傍にいたいなんてと思ってしまうことがある。
「いんや。陽気がいいから散歩か日向ぼっこでもしようかと思ってよ。千鶴を探してた。」
「私、ですか?」
「おう。今、忙しいか?」
「え、っと、繕い物は……今丁度止めようとしていて、でも、あの。」
 折角の非番なのに、自分なんかを気遣ってくれる原田に、本当は嬉しいのに、甘えちゃだめだという気持ちが邪魔をしてうまく言葉が出てこない。
(きっと出かけたほうが原田は楽しい時間を送れるはずなんだから、仕事がありますってちゃんと言わなきゃ。)
 あうあう、と困ってしまった千鶴を見て原田は、にんまりと笑うとわざとらしく、おおげさなため息をついた。
「そっか。千鶴は忙しいんだな。千鶴のお茶が飲みたかったなぁ。せっかくの非番だから千鶴のお茶が飲みたかったってのによ。」
「ああ、あの……っ。」
「でも、そうだよな。俺の相手なんかより、仕事のほうが大事なんだよな。当番でもねぇ昼の支度のほうが千鶴には大事なんだよな。……はぁ。そうか、俺より……。」
「あ、あの、あの!!ご、ごめんなさい……。そんなつもりじゃぁ。」
 原田の言うとおり、昼餉の準備の当番に千鶴の名前はない。ただ、そういった仕事しかできないからと出来るだけ手伝うようにしているのだ。他人が見れば、「でかい図体でガキみたいなわがままを……。」と呆れそうなほどわざとらしい原田の落ち込み様に千鶴はもう大混乱だ。原田のためを思った故の断りなのに、原田がこんなに嘆いている。あわあわと慌てふためく千鶴はすっかり半泣きだ。
 原田が落ち込んだふりをして俯いた視線をちらりと千鶴に向けるとうっすら涙を溜めて困り果てた千鶴が目に飛び込んでくる。その様子に今度は原田が慌てる。ちょっと調子に乗りすぎてしまったようだ。
「うおっ。千鶴、悪かった。悪かったから、泣くなよ、な?」
「な、泣いてません。……ご、ごめんなさっ……。」
「うっっ。千鶴。悪ふざけが過ぎた。悪かったから、な。悪いのは俺だからな。千鶴はわるくねーぞ。」
「??」
 原田の変化についていけない千鶴は、ぽかりと原田を見つめる。自分を見上げる千鶴の大きな瞳には、うっすらと残った涙が潤んでいて、なんだかちょっと変な気分になりそうになった原田は、ごほん、と咳払いをすると千鶴の横にしゃがみ込むと満面の笑みを浮かべて安心させるように千鶴の髪に掌を乗せるとぽふっと弾ませた。
「千鶴と茶がしてぇのは本当だ。でも、いつも千鶴は遠慮すんだろ。だから、ちょっと小芝居を……な。」
「こ、小芝居?」
「で、こっからが本題。いつも遠慮ばっかりしてる千鶴の退路は既に絶ってある。」
「え、絶ったって、どういう?」
 原田の掌がぐりぐりと千鶴の髪を撫でまわす。原田はずいぶん楽しそうだが、千鶴にはもう何が何だかさっぱりわからない。千鶴は困り果てて原田を言葉を聞いているしかなかった。
「昼の当番は斉藤が千鶴の手伝いはいらないと言ってくれた。……ほかのやつだったら心配だが斉藤のとこなら大丈夫だろ。午後の掃除やらなんやらは、源さんの指揮のもと、鈍ってるやつらの訓練の一環としてやることになった。だから、千鶴のこれからの時間は空いてるんだ。」
「で、でも。それなら繕いものとか、竃を磨いたりとか普段できない……。」
普段の仕事がないなら、せっかく空いた時間だ。普段できない仕事がしたい。あっぱれな根性だが、今回の原田には邪魔な根性だ。やはりここはあの名前を出すしかない。原田がぐいっと千鶴に乗り出して顔を覗き込んでくる。ぐっと近づいた原田の端正な顔に千鶴はどきりとしながらも、隙を見せまいとぐっと腹に力を込めた。
「千鶴。」
「はいっ。」
「お前、働きすぎだ。ちったぁ休め。」
「そ、そんなわけにはいきません。」
「いくんだって、今日はな。……副長命令だ。『副長付小姓雪村千鶴。本日は仕事をしないこと。』以上。」
「えっ?なんですか、それ。そんなわけには……。」
「副長命令に逆らうやつは?」
「……士道不覚悟で切腹。」
「お、よく出来ました。だな。」
 千鶴の反論はことごとく跳ね返されてとうとうがくりと千鶴が項垂れた。原田がわざわざ土方の名まで出してくるとは。原田は満足げに顎を撫でる。
「というわけでだ。千鶴、俺の部屋に茶、2つな。」
「2つ?」
「俺の分とお前の分、夕方まで俺の気晴らしに付き合ってもらうからな。」
 そう言うだけ言って満足したのだろう、原田はもう一度千鶴の髪をくしゃりと撫でると歩きだす。千鶴が慌てて顔を上げた時には、自室に向かう原田が軽く手を振って立ち去っていくところだった。
「あ、あの!すぐお持ちしますから。」
「おう、慌てなくていいぞ。でもちゃんと来いよ。」
 肩越しに楽しげな原田の笑顔。いったいなんだったのだろう。でも、副長命令まで出されたら従わざるを得ない。
 どっと疲れが千鶴を襲う。だが、このままこうしてもいられない。急いで繕い物を片付けると勝手場に向かい、原田のためにお茶を入れるのだった。


*


(あれ、何の香り?原田さんや永倉さんは香なんて焚かないよね?)
 この男所帯、香を焚くなんて風流な真似をする者がいるはずもない。千鶴が来るまでは掃除も行き届かず、むしろ悪臭漂う所も多かったのだ。
 千鶴の向かう原田の部屋のほうから香ってくるようだ。
縁側から原田の部屋に向かうと、縁側への障子が開け放たれている。本当に日向ぼっこをするらしい。冬の晴れ間の鋭さは消え、春に近い暖かな陽射しで満ちている。そおっと覗き込むようにして、部屋にいるだろう原田に声を掛けようとした時だった。
「原田さん、お待たせしまし……うわぁ。綺麗!!」
「お、千鶴、悪いな。休めって言っときながら茶ぁ入れてもらってよ。」
「お茶ぐらい気にしないでください。それよりこれって……。」
 千鶴が原田の部屋を覗くと、部屋の中ほどに水を張った甕に無造作に放られた2枝の薄紅の花だった。ほのかな香りを放つ桜よりも濃い紅の華やかな花が枝いっぱいに咲いている。――桃の花、だ。
「おう、綺麗だろ。さっきもらってきた。今日は桃の節句だからな。」
「……あ。」
 桃の花に気を取られてしまったが、よく見てみれば甕の横に置かれた膳に菱餅やらあられやら可愛らしい菓子が盛られている。この屯所には千鶴しか女子いない。では、これは。
 おそるおそる原田の部屋に入ってくる千鶴に苦笑しつつ、千鶴の持った盆を受け取ると千鶴を部屋の中央――桃の花の前に手招いた。
「こんな所に閉じ込めてる張本人たちが何言ってんだって感じだけどな。本来ならお前は江戸の家で一年の健康と未来の良縁を祈ってもらう普通の女の子なんだよな。こんなくらいしか用意できなかったけど、せめて今日くらいお前の女としてのこれからを祈るくらいしてやりたくてよ。」
「あ、ありがとうございます。」
 吃驚して放心状態の千鶴は、すとんと花の前に座るとその薄紅をじっと見つめる。その横顔を眺めていた原田は、次の瞬間、ぎょっとして腰を上げかけたが、思い直して腰を戻す。そしてそっと千鶴の頭を撫でる。
 千鶴は瞬きもせず、桃を見つめながらぽろりぽろりと涙を流していた。拭うでもなくしゃくりあげることもない。ただ、ぽろぽろと涙が零れていく。
 千鶴の気のすむまで、原田は千鶴を撫で続け、どのくらいたったころだろう。千鶴の瞳から涙が零れなくなってきたのを見計らい、声をかけた。
「千鶴?」
「原田さん。ありがとうございました。桃の節句なんて、忘れていました。」
 千鶴は、父親があんなことにならず江戸に居たなら、桃の節句どころかもう何処かに嫁ぎ子がいるような歳だ。そんな千鶴にはちょっと酷だったかと少し原田は後悔していたが、振り返った千鶴の笑顔を見て少しほっとする。
「こうしてお祝いしてもらったら、私にもきっと皆さんみたいな志のある立派な方とのご縁ありますよね。」
 そういって笑う千鶴の言葉に原田の胸がちくりと痛んだ。その痛みを無視して、千鶴を小突くとすっかり冷めたお茶を手に取った。
(馬鹿だな。俺たちなんて、お前にふさわしくないさ。もっと優しくて甲斐性のあるやつ見つけやがれ。)
解放してやれない俺たちがいえる台詞じゃないわな、と言ってやれずにその言葉を原田は千鶴の入れた茶と一緒に飲み込んだ。旨いはずのそれは、飲み込んだ言葉と同じ苦い味がした。



end.

昨年の3/3、ゆきさくらにて発行の無配より。

あまりにタイムリーなネタにしてしまったので上げる時期を失くしてしまったものでした。
ようやっと今年もこの時期が来たのでアップ。

千鶴ちゃんはまだ完全無自覚。
左之さんは千鶴ちゃんの言葉にちくりとくる程度には自覚。
でも、駄目だよ俺みたいな無法者が……とか思っている時期ってことで。

桃色の表現にめちゃくちゃ悩んだ記憶がある。ピンクって桃色桜色薄紅……あと何があるだろう?

2014/03/02


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