知らなかった、一人がこんなに寂しいなんて。

「原田さん!!ヘルプです!!。」
「……いきなりなんだよ、千?」
最近忙しくて残業続きだった原田がやっと定時で仕事を終えて家でふてくされていた時だ。不意になった携帯に出てみると、騒がしい雑踏をBGMに千の困りきった声が飛び込んできた。


帰宅途中で千鶴から入った大学のサークルの付き合いで飲み会が入ったというメールで原田の機嫌はめちゃくちゃ急降下していた。千鶴が用意してくれた食事もなんだかいつもより美味しくないように思えて。二人で暮らす部屋がなんとなくいつもより広く感じられて。
千鶴と暮らして数ヶ月。早くに家を出た原田は一人暮らしが長かったし、千鶴より前に付き合った女性と同棲はおろか家に上げることすら稀だった。だから一人で過ごすのが当たり前で、それが快適だったはずなのに。……千鶴が部屋にいない。それだけでこの部屋でどうすごしていいか分からない、なんて。
「どんだけ千鶴に惚れてんだって、なぁ。」
千鶴からのメールには格好つけて『付き合いは大事だから気にせず楽しんで来い』とか返したけれど、なにも久しぶりに定時で帰れた日に飲み会なんて断れよ!と考える自分がいる。だが、驚かそうと思って千鶴には早く帰れることを伝えてはいなかったのだから、結局は自分が馬鹿だったということだ。
食事を終えても、何もする気が起きなくてリビングのラグでごろごろと横になる。酒でも飲もうかと思ったが、いったん横になってしまうと酒を取りに行くのだって億劫になってしまった。
「……早く帰ってこねぇかな。俺は寂しいぞー。」
独り言が部屋に溶けて消える。遅く帰ってくる千鶴の為に風呂の準備をして先に入ってしまって千鶴がすぐに汗を流せるようにしてやらなければ……やることはあるはずなのに考えるだけで身体が動かない。
本当なら千鶴を横に置いて晩酌しながら千鶴の手料理を堪能して、テレビでも見ながら千鶴とたわいもない話をする。そんな時間を過ごしていたはずだ。いや、むしろ今頃すでにベッドの中だったかもしれない。お風呂くらい……とか恥ずかしがる千鶴を抱きしめてベッドに転がり込んで……。そんな妄想をしつつ、テレビをつけないままの静かな部屋で天井を見つめる。このまま寝てしまったら千鶴が帰ってきたときに驚くだろうな、と思いつつも目を閉じてうとうととしていた時、携帯がけたたましく着信を知らせた。


「……あの、怒らないで聞いてくださいね?」
「あ?……どういうこった?」
電話越しでも不機嫌と分かる原田の声に、慌てた様子だった千もごくりと息を呑んでしまったのだろう。すこし声のトーンを落として原田を伺うように問いかける。
「千鶴ちゃんが珍しく酔いつぶれちゃ……「すぐに迎えに行く!場所は?」」
千の言葉を最後まで聞かずに遮ると、原田は飛び起きて財布と車のキーを引っつかんだ。バタバタとした原田の動作が電話越しに聞こえたらしい千が慌てて原田に確認する。
「は、原田先生!呑んでないん、ですよね?」
「おう、もちろん。」
「よかった、じゃあ車でお願いします。場所は……。」
普段の原田なら晩酌をしているだろうと思ったのだろう。原田の返事に安心した千の説明を聞きつつ、部屋を出た。


「千鶴!!」
「あ、原田さん!ここです。」
繁華街の適当なコインパーキングに車を止めて、千に聞かされた店に飛び込んだ。明るく出迎える店員に事情を話して店内に入る。すこし奥まった小座敷。10人ほどの学生と思しき若者たちが飲んでいる中に真っ赤な顔で壁に寄りかかるようにした千鶴とその隣で心配そうに介抱している千の姿を見つけて、原田が呼びかける。
「千鶴ちゃん!起きて!原田さん来てくれたよ。」
「千、かまわねぇ。そのまま連れてくからよ。……千鶴のカバンとか頼めるか?」
千鶴を揺り起こそうとする千を止めて、千鶴の様子を覗き込む。眠り込んだだけのようで特に具合も悪くなさそうだ。だが、酒にとても弱く普段は勧めても舐める程度の千鶴が一体どうしたというのだろう。
「原田……?ひょっとして?」
周りにいた千鶴の大学の仲間が千が原田を呼ぶ声に反応して、驚いたような表情を見せる。籍を入れてから千鶴は原田の姓を名乗っている。普通なら当たり前だが、千鶴は学生だ。変に目立つのも大変だろうと大学では旧姓のままでも構わないといった原田に首を振って千鶴は改姓の手続きをしていた。指輪も支障のない程度で身に付けているらしい。無意識に人を惹き付ける千鶴を心配していた原田にとっては有難いことだ。
「そうよ、千鶴ちゃんの旦那さん。」
「え!!」
「……すっごい、かっこいい……。」
「ま、負けた……。」
女性陣は原田の姿に見惚れ、千鶴にほのかな恋心を抱いていたらしい男性陣ががくりと頭を垂れる。そんな様子には目もくれず、原田は千鶴しか見えていないといった様子で連れて帰る準備をする。
「……うちのが迷惑掛けて悪かったな。ま、懲りずに誘ってやってくれや。」
「千鶴ちゃんが心配だから私も帰るね!」
眠ったままの千鶴を軽々と抱き上げて、原田が仲間たちを見渡してぺこりと頭を下げると、男女ともにぽかんとしたままこくこくと頷く。さりげなく自分のだと主張する原田に呆れながら、千が千鶴と自分の荷物を手にして歩き出した原田に続く。背中にどよめきが聞こえる。座敷から原田たちの姿が見えなくなったとたん、大騒ぎになったようだ。
「よかったのか?」
「いいんです。あんな所に残ったら私質問攻めですよ。」
「……それもそうか。」
「ついでに送ってください。それでチャラでいいです。千鶴ちゃんにもそう言っておいて下さいね。」
「ああ、悪いな。」
後を歩く千にも付き合いがあるだろうにと声を掛けると呆れたような声が返ってくる。確かにと納得してしまった。
背中から遠くなる座敷の喧騒はなかなか消えそうにもない。


千鶴と千を車に乗せて帰路へと滑り出す。眠り続ける千鶴に代わって千が今回の一件の事情を話し出した。
「千鶴ちゃんね、皆にこんなに早く結婚するなんてもったいないって言われてしまって。」
「……まあ、そう思うよな。一般的には。」
「表向き交際一年じゃないですか。だから尚更。」
原田と千鶴が千鶴の高校時代から付き合っていたと知るのはほんの数名だ。そのうちの一人である千が苦笑するのも無理はない。世間がどんなに大らかになったとはいえまだまだ教師と学生の恋は禁忌とされる。卒業してから付き合いだしたという取って付けた言い訳をどれだけの人々が信じているかは分からないが、そういうことになっている。
結婚したといってもおめでとうで済む社会人の原田と比べたら、未成年の学生のうちに結婚を決めた千鶴の周りではそう簡単な話ではなかったのだろう。千鶴のような大人しく優等生な学生が急に結婚するなんて……と大学側にも少なからず驚かれたのは確かだ。周りの学生にも驚かれたに違いない。
『左之助さんのお嫁さんになったんだから、ちゃんとしたいんです。』
そう頬を染めながら、改姓の手続きの書類を書いていた千鶴を思い出す。姓を変え、左の薬指に指輪を光らせて大学に通う。それは、原田には分からない苦労があるのだろうか?
「まあ、いい男捕まえた千鶴ちゃんへの嫉妬とか、目をつけたと思ったら既に人妻だったってことに憤ってる馬鹿な男たちの嫉妬なんですけどね。私から言わせれば。」
「手厳しいな、千は。」
千にとっても仲間であろう相手をばっさりと斬って捨てた千に、原田が苦笑する。千も呆れたように肩をすくめて笑う。だが、その表情をすぐに曇らせて助手席に眠る千鶴を心配そうに見つめる。
「軽く受け流していればいいのに、千鶴ちゃんてば真正面から受け止めて……。で、勢いでぐいっと開けたグラスがウーロンハイだったんです。」
「そりゃぁ、まあ。なんていうか。……千鶴だからなぁ。」
真面目すぎるのも、意外にうっかりな所も。それが千鶴だと原田がため息のように呟くと千が笑う。
「でもこれで大分牽制になったと思いますよ。」
「?なにがだ?」
「分からないならいいんです。」
不思議そうに問い返した原田に千がふふっと笑った。そしてそのまま千鶴をもう一度まじまじと見つめて楽しげに笑う。
「すごく頑なにお酒を飲まないからどうしてかなって思ってたんですけど。……びっくりするほど弱いんですね。」
「一回試しに飲ませたら大変だったんだ。」
「原田先生も苦労が耐えないですね。」
「いいんだよ。千鶴の為の苦労なんて苦労じゃねぇからな。」
ちょうど信号で止まり助手席の千鶴を見つめながら答えると、千が相変わらずだと呆れたように盛大なため息を吐く。
だが、そこで千が何かにはたと気付いたようで、乗り出すように聞いてきた。
「そういえば原田先生、ここのところ残業続きだって千鶴ちゃんが心配してましたけど、今日は早かったんですね。」
「……定時だったんだよ、今日は。」
「え?……ひょっとして。」
「うるせー。言うなよ、凹むから。」
いろいろ悟られたようで、もちろん運転に支障のない程度でだが原田がガクリと項垂れる。その様子に千がくすくすと笑う。
「ふふっ。……先生って本当に千鶴ちゃんのことになると色男が台無しですよね。」
「いいんだよ。千鶴にさえ見捨てられないなら、他人にどんなふうに見えたってな。」
「先生って……。まぁ、だから千鶴ちゃんを任せたんですけどね。」
からかうような千の口調に、原田がきっぱりと告げた言葉に千が一瞬ぽかんとするが、ふうっと大げさにため息を吐いてどさりとシートに身を沈めた。
呆れたような感心したようなため息とともに吐き出された言葉。
それが何故か妙に嬉しい、そう思った原田だった。



end.

「愛妻の日」のSSLちっくな左之さんご夫婦設定で。

ちゃんとご夫婦になりましたよ。のさらに続き。

話は続いていませんけどね。なんでだろう。現代パロになると途端に左之さんがヘタレちっく。

前回に引き続き、千鶴ちゃんがいるけどいない、みたいな?
主題はどこにあるのかよくわかんないけど、「うちのが……」って言わせたかった!ってだけのお話、かも。

2013/10/21


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