これを恋というのなら

「よし、あともう少し!」
 千鶴は庭掃除をしていた。少しでも皆が過ごしやすいようにと箒で、忙しくでも丁寧に掃いていく。最初のうちは広い庭に苦戦したが今では慣れたものだ。今日は巡察への同行は許可されていないので、ちょっと残念だ。だが、毎日千鶴を受け入れる余裕があるわけではない。部屋から出ることすら出来なかった頃に比べれば、こうして監視も無くなり任される雑務も増えた今はとても充実している。今日も土方から簡単な手伝いをするように言われている。まだ手のついていない部分を見渡して、もう少しと確認しつつ気合を入れ直して箒をもう一度握り直して、掃除を再開する。
 そんなふうにしていると賑やかな声がしてくる。これから巡察に出る組が集合して来ているようだ。
 今日これからの巡察は……。
(十番組…原田さんの組だ。)
 そっとそちらに視線を送ると、賑やかな声の中心に集団から頭一つ背の高い姿がある。陽に透けると燃えるような赤い髪が無造作に結わえられて背に流れている。浅葱の羽織にその髪が映えて千鶴の目を奪う。
 その姿を見つけてしまって掃除の手はすっかり止まってしまった。いつからだろうか、千鶴のことを手のかかる妹のように気にかけてくれるその人を見ると心が落ち着かない。見ているとドキドキとして苦しくなるのに、その姿が見えないと寂しくなる。なんて自分勝手なと思うけれど、まだ名前の付けられないこの感情を、千鶴自身もてあましているのだからどうしようもない。
(今日はご一緒できないけれど。……お見送り位しても大丈夫かな?)
 邪魔にしかならない千鶴の同行を許してくれる組長は少なく、千鶴のことを気にかけてくれる原田の十番組の巡察に同行することが多い。そのうえ、原田の気質の所為かもともと気さくなものの多い十番組には千鶴を快く迎えてくれる隊士が多く顔見知りもいる。その皆の無事と武運を願いつつ、出発を見送るくらいなら迷惑にならないだろうか。躊躇しつつ、原田のほうを見ていると視線に気付いたらしい原田がくるりと千鶴のほうを振り返った。
 感じた気配を探るような顔つきが、千鶴を見とめてふっと微笑む。眇められた目元がふわっとほどけて微笑む変化に千鶴の胸がどくんと高鳴った。新選組幹部たちは整った顔立ちの者が多いが、原田が土方と肩を並べるほど島原で人気があるというのは、きっとこの笑みを絶やさない人柄もあるように思う。
 原田からしてみれば、可愛がっている妹分に優しくしているだけだろう。だが、男慣れしていない千鶴にとって見れば、ふと向けられる優しげな微笑みだけで許容量いっぱいだ。特にこんなふうに急に微笑まれたら顔なんて爆発しそうなほど真っ赤になってしまう。
 千鶴が固まって顔を真っ赤にしている間に、原田が軽い足取りで千鶴の元にやってくる。
「よっ!千鶴、どうした?庭掃除か?」
「は、はいっ!き、今日は巡察の同行は出来ないので……。」
「ああ、そうだったな。今日は土方さんの手伝いか?」
「はい。昼餉の支度が終わったら、お手伝いをさせていただくことになってます。」
「させていただく……ってお前なぁ。」
 原田ががくんと項垂れるのを見て千鶴は何か変なことを言っただろうかと小首をかしげる。もしかして原田を不快にさせるようなことをしてしまっただろうかと真っ赤になっていた顔はみるみるうちに青ざめていく。やるべき仕事の手を止めてしまったからだろうか。それとも自分のようなものが命じられたとはいえ土方の手伝いをするなんて出すぎたまねだっただろうか。自分には何も出来ないと思い込んでいる千鶴には思い当たることが多すぎて一体どれが原田の気分を害したのかが分からない。ここは恥を忍んで原田に教えてもらって自分の行動を正すしかないだろうと、呆れたように項垂れたままの原田に声を掛ける。
「あ、あの……私、何かいけない事をしたでしょうか?」
「あ?……ああ、違う違う。」
 小さな身体をさらに小さくして自分を伺う千鶴に、原田が慌てて否定する。
「そうじゃねぇよ。本当ならお前はこんなにしてくれる必要なんてねぇだろ。なのに働き過ぎじゃねえかって呆れただけだ。」
 そういって千鶴の頭を大きな掌でぽふぽふと撫で付ける。子供を宥めるような仕草だが、原田に認めてもらっているように感じられて嬉しい。同時に覗き込むように腰を折って千鶴の目線に合わせて微笑む原田に千鶴の頬は再びぽっと赤く染まる。
「そ、そんな。何もしないでご厄介になるなんて申し訳ないです。それに私に出来ることなんて誰にでも出来ることばかりで……。」
「そんなことねぇさ。千鶴は良くやってくれてるぞ。千鶴が色々してくれるようになって、屯所は綺麗になったし、飯もうまくなった。誰にでも出来る事じゃねえよ。男にゃ難しいし、この男所帯で女が生活するのも大変だからな。」
「そんな……。私が出来ることなんてそんな大そうなことじゃないです。」
「まあ、そういうのが千鶴なんだろうけどなぁ。土方さんだってあんなにお前を使うこと拒んでたってのに今じゃ色々頼まれんだろ?……千鶴が頑張ってる結果だ。」
「そうでしょうか?」
「そうなんだよ。だからもうちょっと胸張っていいんだぞ?」
「はい。」
 原田の言葉にすこしうれしそうに微笑んで俯いた千鶴に原田も微笑んだ。千鶴の頭を撫でる掌はまだ千鶴の頭の上にあって、千鶴のさらさらとした髪を撫で付ける。大きな掌の温もりが大丈夫だといってくれているようで嬉しい。
「で、千鶴はどうして俺のほう見てたんだ?」
「あ、あの……それは。……何でもないんです。賑やかな声がするなって思って……。」
 そういえば、といったふうに原田が千鶴を覗き込んだまま問いかける。間近に原田の端正な微笑みがあってドキリとする。でも、なんて言っていいのかわからない。お見送りをしたかったなんて千鶴の自己満足だ。必死に隠そうとなんでもないのだというが元来嘘の下手な千鶴だ。本当のことを言いよどむ千鶴に原田は気付いて不思議そうに首をかしげる。なにか叱られるとでも思っていると勘違いしたらしい。
「……別に怒ったりしねぇぞ?ほら、いってみな?」
 そういって内緒にしておいてやるとばかりに一層千鶴に近づいてくる原田に千鶴の鼓動は跳ね上がり、顔中真っ赤だ。男慣れしていない千鶴には近すぎて背を仰け反らせてカチコチに固まってしまう。手にした箒をぎゅっと握りしめて耳どころか首筋まで真っ赤に染めた千鶴に、原田は違う心配を持ったらしい。
「……千鶴、お前さっきから顔真っ赤だぞ?熱でもあんのか?」
「へ?……違います、熱なんてありません。」
「そうか?でもなぁ、真っ赤だぞ?……どれどれ?」
 どうにも千鶴の言うことが信用できなかったらしい原田が、ぐんと近づいた。接吻が可能なほどの距離に原田の顔が近づいて千鶴が耐え切れずぎゅっと目を閉じた。するとこつりと額に何かが触れた。恐る恐る千鶴が目を開くと目の前に思案顔で目を瞑っている原田の顔。普段は小柄な千鶴からは遠い原田の顔が目の前に広がっている。どうも千鶴の額に当たったのは原田のそれだ。……額を合わせて熱を測っているらしい。
(うわ……は、原田さん……ち、ちかい、です、ぅ……。)
 何処も具合悪くないのにその事実だけで、熱が上がってしまいそうだ。硬直した身体に必死に命令して原田から少しでも遠ざかろうと千鶴が身を捩ってしまう。当然ずれてしまう額にまだ熱を確認していた原田が苛立ったように眉間にしわを寄せる。
「千鶴、動くなってまだ熱測ってんだぞ?」
「ね、熱なんてありませんから!!」
「お前、自分のことになると無頓着だからな。駄目だ、俺がちゃんと確認しねぇと。」
 このまま原田に触れられていたら本当に熱で倒れてしまいそうだ。千鶴がわたわたと暴れると原田も意地になったようだ。千鶴の腕を掴んで抑え込むと大きな掌が千鶴の頤をしっかりと掴んでくいっと千鶴を上向かせる。再び額が触れる。そっと薄目を開ければ原田の真剣な表情。その温もりにドキドキして唇が触れるかもなんて変な妄想をしているのは千鶴だけのようだ。原田は本当に千鶴を心配してくれているのに。
(原田さんは女性に慣れてらっしゃる……から。)
 それに千鶴のことは妹程度の存在だ。原田がそんなふうに思うことなんてないに決まってるのに、いったい何を考えているのだろう。
「あーー、原田組長!!なにやってんですかー。」
「お、雪村じゃんか。今日は同行しねぇの?」
「原田組長、雪村といちゃいちゃしないでくださーーい。」
「そうですよ。雪村は数少ない俺らの癒しっすよ。独り占めしないでくださいーー。」
 突然かかった声に千鶴がビクビクっと震える。原田の部下たちだ。原田が戻ってこないので呼びに来たのだろう。妙な言葉を掛けられて慌てふためく千鶴とは違い、原田はゆったりと千鶴の額から離れると部下たちを見渡した。
「うっせーな。お前ら、何言ってやがる。俺は千鶴が熱出してんじゃねーかって確認してただけだぞ。」
「え?雪村、お前具合悪いのか?」
「あ、確かに真っ赤な顔してる。」
「え?……違います!大丈夫です。……原田さんも何とか言って下さい!!」
 頬を真っ赤に染めた千鶴と原田の言葉に十番組の皆がわらわらと千鶴を取り囲む。大丈夫か?山崎さんに診てもらえよ?と口々に心配する部下たちに原田が笑う。千鶴がここに来た当初は、正式な隊士でもなく小姓でしかない千鶴が幹部に囲まれて一人部屋を貰う特別扱いを受けていることに反感を持つ隊士が多かった。でも皆が嫌がる雑用を熱心にこなす千鶴に、隊士たちの反感もだいぶ薄れたようだ。
「まぁ、熱はなかったな。」
「だから、大丈夫だって申し上げているじゃないですか……。」
「……でも、お前ら、『いちゃいちゃ』とか『癒し』とかなんかふざけたこと考えてないか?」
 大丈夫だと必死に説明している千鶴の頭にぼふりと手を置くとそういって安心させる。だかその後に続いた言葉に部下たちがビシリと固まった。ほぉっと息を吐いた千鶴とは対照的に部下たちがひいぃぃぃと縮み上がる。
「お前ら、なんか変なこと考えてんじゃねえよな?こいつは土方さんの小姓だぞ?なんかしようもんなら……。」
「そ、そんなこと考えてません!!」
「俺たちは見てるだけで十分ですからーー。」
「先行ってますから、組長も早く来てください!!」
「……あいつら、逃げ足だけは早くなりやがって。」
 流石に原田たちに鍛えられている部下たちだ。原田の凄みから即座に硬直から復旧してさっと身を翻すと一目散に逃げていく。呆れたような原田が肩を落とす。呆気にとられていた千鶴だったが、そのうちくすくすと笑い出した。そんな千鶴に原田も笑う。
「大丈夫みたいだな。」
「はい、どこも悪くないですよ。」
「おう、じゃあ手を止めたついでに見送りしてくれるか?」
「!!……いいんですか?」
「ああ、あいつらも楽しそうだしな。……なんかむかつくけど。」
「原田さん?」
「なんでもねぇよ。ほら、行くぞ。」
 そういうと千鶴の腕を取って原田が歩き出す。幼子の手を引くような仕草にちょっと胸がちくりとする。そんな良くわからない気持ちをとりあえず考えないことにして、原田の後をついていく。そっと見上げると原田が千鶴を見下ろして微笑んだ。
「なんか旨いもんかってきてやるからな?良い子にしてろよ。」
「は、原田さん!そんなことしてもらう理由が……。それに私そんな子供じゃ……。」
 千鶴の髪をぐりぐりと掻き回すように撫でて原田が言うので、千鶴は申し訳なさとちょっとの反感を持ってしまう。そんな複雑そうな千鶴の表情に原田がいっそう楽しげに笑う。
「ははっ。そうだな。俺がお前の茶ぁ飲みてぇからって理由じゃダメか?」
「何もなくてもお茶位お淹れしますから。」
「茶だけじゃお前一緒に飲んでくれねぇだろ?買ってきてやるからお前も付き合え。」
「ううっ。はい。分かりました。」
 雑用に走り回る千鶴を少しでも休ませようとする原田はこうして時折強引になる。それが申し訳なくて、でも嬉しくて……ドキドキして苦しくなる。
 言葉に詰まって、困った表情で頷いた千鶴に原田が楽しげに笑う。
「よし、じゃあ巡察行ってくるか。」
「はい、いってらっしゃいませ!……ご武運を。」
 整列して屯所を出発する原田たちに門から頭を下げて見送る。そっと無事と武運を願う言葉を添えた。徐々に離れていくその背を見つめる。やっぱり寂しくなってしまうけれど、今日は約束をしたから、また原田と時間を過ごすことが出来る。ぽおっと胸の中に暖かいものが増えていく。
「よし、私も頑張ろう!!」
 原田たちの纏う羽織のように澄んだ空を見上げて千鶴も気合を入れて箒を握って庭へ向かって歩き出した。



end.

まだ二人とも自覚のないころのお話し、ということで。

すっごくおでここっつんが書きたくてですね(笑)。
お知り合いになった方の落書き(だっておっしゃるんだよね)にちょー萌えまくりまして。
夏コミ付近から、書けないけど書けないけど!これだけは書くんだ!!と意地で書いたSS。
それくらいおでここっつんに萌え転がったんですよ……。

十番組の人たちが出てくるのも書いてみたかったんですよね。

いちおう落書きの主様にはご報告済み、です。恐れ多くて差し上げる勇気がありませんでした(こう書くと怒られるかな?)。
萌えをありがとうございました!


初出 2013/09/15

2013/10/21


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