君がここにいるだけで

「お、料紙がねぇ・・・」
小さな呟きが聞こえた。小さいが少し焦りが見える声だった。

それは、千鶴がお茶を手に土方の私室に向かっていたときのこと。ちょうど土方の部屋に辿り着き、障子を開けようと膝を付いた所だった。普段なら、そのくらい近づいていると、気配の消せない千鶴の存在などすぐにわかるのか、まるで準備をしていたかのように千鶴の呼びかけに答えが返る。独り言など聞いた例がない。
しかし、今日はよっぽど困ったことでもあったのだろう。
「土方さん、雪村です。お茶をお持ちしました。」
「・・おお、入れ」
いつもよりすこし鈍い反応で許可の声が返る。千鶴が入ると、土方は文机から離れて、何かを探している。許可は得たが入ってよかったのだろうか?
「あの、土方さん?何かお探しなのですか?」
「・・・うん?ああ、会津藩への書状に使う料紙が無くてな。確か、まだあった様な気がしたんだが・・・」
土方はそう言いながら、文を書くときに使う道具の入った場所をどんどん開けては探している。
料紙と聞いて、千鶴の記憶になにか引っかかる。そういえば先日誰かが料紙を抱えていなかっただろうか?少し記憶をたどると、2日前のある人物の顔が思い浮かんだ。
「あの、土方さん。私の思い違いかもしれないのですけれど・・・」
確証がないので千鶴が躊躇していると、土方が手を止めて千鶴を振り返る。
「かまわねぇ、言ってみろ。」
土方の鋭い視線に、気後れしながらも千鶴は自分の見た光景を話し始めた。
「2日ほど前なんですけど、沖田さんが子供たちと遊ぶ為に紙を探してらして。広間で皆さんにお聞きになっていたんですけれど、どなたもお持ちじゃなくて。その場は沖田さんもあきらめて、他を探してみると広間を出て行かれたんです。」
沖田の名前が出て、話が進むにつれ、土方の顔がどんどん鋭くなっていく。その視線に千鶴は自分が何かしてしまったような錯覚に陥って、声がどんどん小さくなっていく。
「・・・それで?それだけじゃねぇんだろう?」
とうとう、途切れた話に土方が先を促す。千鶴は、地を這うように低くなっていく土方の声に慄きながらもなんとか続きを話す。
「・・・・はい。その少し後、お庭の掃除をしようと此方の縁側のあたりに来たんです。そのとき、沖田さんがきれいな白い料紙を抱えて嬉しそうにしてらっしゃるのを見ました。」
土方さんにもらったのだろうと思ったのだと。そう続けようとした千鶴の言葉を遮るように、地を這うような声が口から漏れる。
「・・・・あの野郎。また、勝手に人の部屋に入りやがったな・・・。」
その声を聞いて、はっと思い出す。2日前土方は朝から出かけていて帰ってきたのは、夜も遅くなってから。・・・沖田は勝手に土方の部屋から料紙を持ち出したらしい。千鶴はてっきり、土方が沖田に料紙を分けたことを忘れたのだと思っていたのだ。
「土方さん、あのすみません。・・・私があのとき気付いて報告していれば。」
沖田のいつも通りの勝手な行動に腹を立てていた土方は、千鶴の謝罪を聞いてあきれ返った表情を見せる。
「・・・・・・おまえなぁ。なに、謝ってやがる。総司のしたことだ、お前には関係ないだろうが。」
「でも・・・」
「それとも、なにか?お前は総司の片棒でも担いだってのか?」
誰に原因があろうとも自分が悪いと思ってしまう千鶴の悪い癖に、土方は諭すように言って聞かせる。それでも納得しない千鶴がさらに言い募ろうとする言葉を遮って、茶化すような口調でわざと凄んでみせる。その言葉に千鶴はあわてて首を何度も横に振る。
「どうせ、あの阿呆が勝手に取っていったなんてお前は思いもしなかったんだろう?たとえば、俺が総司に料紙を分けたことを忘れているんじゃないか、とか。」
「っ・・、どうして解るんですか!」
まさに思っていたことを言い当てられて、千鶴が俯いていた顔を上げると土方が声を上げて笑う。めったに無い笑顔を向けられて千鶴の鼓動がどきりと高鳴る。役者に例えられるほどの端正な顔に広がる笑顔は華やかで心臓に悪い。そんな高鳴る心臓を押さえながら、千鶴はそれでも、と言い募る。
「でも!関係なくなんてありません。私は土方さんの小姓ですから、土方さんの仕事が滞るようなことを見過ごしたなんて・・・」
「お前はそれでいいんだ。人を疑うのは俺たち・・・いや俺の仕事だ。お前はそのまま、人を信じていればいい。」
千鶴の疑うことを知らない心は、人を疑い殺すことに慣れた土方たちには眩しすぎる。それでも、そのままでここにいて欲しいと、願うこの気持はなんだろう。女である千鶴を此方の都合で男装をさせて軟禁を強いているのは土方だ。そんな土方たちを責める訳事無く、馴染み、慕う千鶴にどれだけ幹部たちは心安らいでいることか。
不意に考え込んだ土方に千鶴は戸惑う。
「?・・・土方さん?」
「いや・・なんでもない。じゃあ、たまには小姓らしいことでもさせるか。」
「はい!なんでもおっしゃってください!」
土方の小姓ということになっているが、実際には事情を知る幹部たちの周りの雑用を少し手伝うだけの千鶴はその言葉に嬉しそうに頷く。軟禁している土方たちに向かって、自分も皆の為何かの役に立ちたいのだと言う千鶴を思い出し、土方に笑みが零れる。
「おし、じゃあ出かけるぞ。支度して来い。」
「へ?・・・お出かけですか。私もご一緒していいのですか?」
「料紙を買いに出かける。大半は届けさせるが、今日明日使う分は少し持って帰ってこなきゃならねえ。俺の小姓なんだろ?付いて来い。」
「はい。すぐに支度してまいります!」
いつも千鶴を外に出すことを一番嫌がる土方のこの言葉に千鶴は驚いた様子だったが、ぐすぐすしていると土方の気分が変わると思ったのか、大慌てで土方の部屋を辞していく。
ここのところ、難しい案件を抱え気を張っていた土方だったが、いい気晴らしが出来そうだ。
「・・・・総司の所為だってのが腹が立つが、まあ、いいか。ついでに甘味でも食ってくるか。」
原田や平助、新八が競うように千鶴に土産を買ってくるのは、あの晴れやかな笑顔を見るためなのだろう。他の幹部たちも何かに付け、千鶴を構う。土方も同じなのだ。無垢な笑顔を見ることで闇に呑まれそうになる自分を引き戻しているんだろう。
たまにはこんな日があってもいいのかもしれない。土方はそう思うことにした。


その後、珍しく機嫌のよい土方と団子を食べて帰ってきた千鶴はいつも以上に笑顔を振りまいていた。
「あれぇ、千鶴ちゃん。なんか気持悪いくらいご機嫌だね。」
「・・・きもちわ・・・ひどいです!沖田さん。」
あんまりな言葉に、せっかくの千鶴の上機嫌は急降下して、沖田に食ってかかった。でも、なにか思い出したようにすぐに上機嫌に戻る。そんないつにない千鶴に沖田はさらに揶う言葉をかけようとするが、千鶴に先を越されてしまった。
「そうだ。沖田さん、ありがとうございました。」
千鶴は丁寧に頭を下げる。お礼を言われる覚えのない沖田は、首をかしげる。
「?なんかしたっけ、僕。」
「はい、今日は沖田さんのおかげなんです!ありがとうございます!」
千鶴に全く説明する気はないらしい。そのまま、にこにこと沖田を見つめる。これは駄目だと沖田が諦めて返事をする。
「・・・どういたしまして?でいいのかな?」
「はい!それでは、失礼します。」
すっかり上機嫌に戻った千鶴はそのまま、沖田のもとを離れる。訳の分からないまま取り残された沖田は、千鶴が離れたのを確認して沖田は物陰に声をかける。千鶴で遊ぼうとしていた沖田はすっかり不機嫌だ。
「・・・・立ち聞きなんて悪趣味ですよ、土方さん。」
「・・・・気付いてたか。」
気配に敏い沖田だ。笑いを堪える者の気配など気付かないわけがない。それを承知で土方もそのまま物陰に居た土方も土方だ。千鶴の沖田への礼は、休もうとしない土方が自分と気分転換をしてくれたことへの礼だろう。まあ、それを沖田に説明してやるつもりはないのだが。
「で、どういうことなんです?笑ってたからには理由を知ってるんでしょ。」
「まぁな。・・・・総司。」
「なんです?」
すっかり不機嫌で棘のある沖田の言葉に更に土方は笑いを深めて。
「・・・なんでもねぇよ。じゃあな。」
「あ、ちょっと土方さん!説明してって下さいよ!」



end.


お題「恋人になるまでの10ステップ」より
09:君がここにいるだけで

あれ、なんか書きたいことはかけたけど
総ちゃんがちょっと気の毒になっちゃいました
まぁ、いたずらは自分に返ってくるんだぞ、ということで(笑

最初は普通に千鶴と出かけるだけの話だったんだけど
いつの間にか総ちゃんまで巻き込んでしまいました

2010/12/19


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